じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 8月7日に続き、8月8日もいくつかの学部でオープンキャンパスが開催された。
  • 写真上:マスカットユニオン(北福利施設)前の歓迎行事。35℃の炎天下で熱中症にならないものかと、そっちのほうばかり心配してしまう。
  • 写真中:岡山駅方面への臨時バスを待つ参加者。JR法界院駅まで歩いた方が早いような気もする。
  • 写真下:岡大キャリア開発センター公認のゆるキャラ「いーちょ」のブロンズ像。こちらに詳細情報あり。

2015年08月8日(土)


【思ったこと】
150808(土)『嫌われる勇気』(28)「嫌われる」と貢献

 昨日も述べたように、ここで「嫌われる」とは、嫌われれば嫌われるほど自由になるという意味ではない。推奨されているのは、他者からの評判を気にせずに主体的に生きることであり、それによって結果として嫌われることがあっても一切気にするな、そんなことを恐れるな、という生き方であると理解した。

 そのことでふと思ったのは、大相撲で強すぎる横綱がしばしば嫌われているということ。いまの白鵬、少し前の朝青龍、さらに大鵬や北の湖なども、それぞれ人気力士であった反面、強すぎることで嫌われていたところがある。もっとも、単に嫌われているだけではお客さんはやって来ない。強すぎるからこそ、誰が横綱を倒すのかというところに興味が生まれ、大相撲全体としての人気度が高まるのである。といってもそれは、土俵の上での話であって、土俵以外のところで嫌われてしまうような原因を作ってしまうと、あまり良い方向には向かわない。これは、本書の後半でも説かれている「貢献」に関連してくると思われる。つまり、「貢献」を前提として結果として嫌われている場合と、土俵以外の場所でいろいろ問題を起こして嫌われている場合では本質的に異なるということだ。

 さて、本書については、「現代ビジネス」というサイトに「この著者に聞け」という特集記事が掲載されている。
 そのなかの第1回page=5のところで、本書のタイトルについて言及されていた。
古賀:いろんなタイトル案が出ましたが、アドラー心理学の鍵となる「勇気」という言葉だけは、どうしても使いたかった。そこで最終的に行き着いたのが『嫌われる勇気』でした。ただ、キャッチーな言葉だけに、タイトルだけが一人歩きしてしまう危険性は感じませんでしたか?

岸見:たしかにタイトルを見ただけで、いろいろな感情を持つ方がいるでしょう。拒絶反応を示す方もいれば、「アドラー心理学の本質からズレている」と思われる方もいるかもしれません。でも、それでいいのではないかと思っています。タイトルを見た瞬間から「手にした人との対話が始まる」。そこが面白いのではないかと。
 後述する予定の「勇気」は別として、確かに「嫌われる」という言葉は一人歩きしてしまう恐れがありそうだ。

 また、第1回の5〜6ページには、

「承認されるかどうか」ではなくて、「貢献できるかどうか」という意識

と指摘がある。要約引用すると、
  1. 相手が私のことを嫌うのか嫌わないのかは、相手が決めることであって、私が介入できることではない。むしろ、私が嫌われているのだとしたら、それだけ積極的な関わりがあり、それだけの影響力を持てたともいえるのだと思えるようになりました。(岸見氏)
  2. 世の中は「他者からの評価によって自分の価値を実感する」という人がほとんどだと思います。周りからほめられて、「自分は間違ってなかった」とか「がんばってよかった」「自分はこのままでいいんだ」と実感する。そういった他者からの評価を抜きに、自分ひとりで自分の価値を実感することはなかなか難しいと思うんです。(古賀氏)
  3. ここで考えていただきたいのが「他者から承認されるかどうか」ではなく、「自らが他者に貢献できるかどうか」です。承認されることによって自らの価値を実感するのではなく、他者に貢献していくなかで自らの価値を実感する。(古賀氏)
  4. 「他者からの承認はいらない」という言葉は、「誰とも交わらず、孤高の人になれ」とのメッセージではない。他者から手を差し伸べてもらう(承認される)のを待つのではなく、こちらから手を差し伸べて(貢献して)いこう。他者への貢献を通じて、自分が必要とされていることを実感する。(古賀氏)

となる。ちなみに、最後の「誰とも交わらず、孤高の人になれ」というのは、まさに私自身が実践してきたライフスタイルであるが、何度か書いているように、歳をとればとるほど、孤高を維持することはきわめて難しい。また、現職のうちは各種委員、退職後も町内会のように、順番で割り当てられる役回りがあって断り切れないところがある。最後は、やりたいことと課せられたことを「バランスと妥協」の精神で切り分けていくほかはないかと思ったりしている。


 不定期ながら次回に続く。