じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 大学構内で見られる白いモノ3種
  • 写真上:繁茂するハクチョウソウ(白蝶草)
  • 写真左下:文学部東に1株だけ咲いている白いペチュニア。昨年秋に玄関前の鉢の土が捨てられた時に根が残っていて再生したものと推定される。
  • 写真右下:害虫として悪名高いアメリカシロヒトリ。


2015年06月17日(木)


【思ったこと】
150617(木)NHK 100分 de 名著43「荘子」(10) 役立たずの木と、「用」から「遊」への価値転換

 昨日の続き。

 「庖丁(ほうてい)」に続いて、放送第3回では、「役立たずで生きる」に関連して、役立たずの木【内編・人間世(じんかんせい)】の話が紹介された。ネットで検索したところ、原文は大体以下の通り(一部、表示できないフォントあり)。
「匠石之斎、至乎曲猿、見櫟社樹。其大蔽數千牛、潔之百緯、其高臨山十仞而後有枝、其可以為舟者旁十數。観者如市、匠伯不顧、遂行不輟。弟子厭観之、走及匠石、曰「自吾執斧斤以随夫子、未嘗見材如此其美也。先生不肯視、行不輟、何邪?」
曰「已矣、勿言之矣。散木也、以為舟則沈、以為棺槨則速腐、以為器則速毀、以為門戸則液満、以為柱則蟲。是不材之木也、無所可用、故能若是之壽。」
匠石帰,櫟社見夢曰「女將惡乎比予哉? 若將比予於文木邪? 夫柤、梨、橘、柚、果、租之屬属實熟則、実熟則辱、大枝折、小枝泄。此以其能苦其生者也、故不終其天年而中道夭,自培撃於世俗者也。物莫不若是。且予求無所可用久矣、幾死、乃今得之、為予大用。使予也而有用、且得有此大也邪? 且也、若與予也皆物也、奈何哉其相物也? 而幾死之散人、又惡知散木!」
匠石覺而診其夢。
(『荘子』人間世篇 第四)
 番組では、
  • 大工の棟梁、石(せき)がクヌギの巨木を無視して通り過ぎた理由を弟子が尋ねたところ、「あの木は「散木」(役立たずの木)だから相手になんかしていられるか」と答えた。
  • その夜、親方の夢に巨木が現れ、「役立つ」の意味を問いただす。「人間に役立つ木は実をつけたとたんの枝ごと切り取られてしまう。そういうおまえ(親方)もいずれ死ぬ「散人」だ。
という部分のみ言及され、「人や世の中の役に立とうと思うとかえって自分を苦しめることもある。それやったら役立たずでおったほうがええ」に行き着いた。

 要するに人間の価値は、世間的に役立つかどうかという物差しだけで決まるわけではない、(荘子が生きていたような戦国時代では)命を大事にしていくと世間的には役立たずになることもある。柳の緑と桃の花が比較できないように、1つの物差しだけで安易に比較してはならない。とりわけ、世間ではすべてをお金で比較する傾向があるが、「人は皆有用の用を知るも無用の用を知ることなきなり(人間世篇)」の言葉の通り、無用の用を知る必要があるというような内容であった。

 なお、番組では紹介されなかったが、上掲のクヌギの巨木に話は、まだ続きがある。

弟子曰「趣取無用、則為社何邪?」
曰「密!若無言!彼亦直寄焉、以為不知己者詬礪也。不為社者、且幾有翦乎!且也、彼其所保、與衆異、以義誉之、不亦遠乎!」
 この巨木は神木として祀りあげられているが、巨木自体は無用であることに努めてご神木になったわけでもないし別段そのことを有難く思っているわけではなくただそこにいるというだけというような話のようだが、なかなか奥が深い。単に役立たずで日陰者として生きろといっているのではなく、世間的な価値でははかれない「遊」の境地を体得し、「一見役立たずの大木も、舟遊びや昼寝といった「遊」の立場に立てば、一気に「大用」に転換する。それは「人の役に立つことで却って自分の身を苦しめる」状況からの解放だ。」【こちらから引用】という深い意味があるようだが、私のような俗物は、なかなかその境地に達することができない。

不定期ながら次回に続く。