じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 新緑の季節はそろそろ終わりになるが、樹種や日照の方位によっては、今の時期の緑が最も美しい場所もある。写真左は、岡大西門近くの用水路の水面に映る緑。写真右は、生協マスカットユニオンからガラス越しに眺めるケヤキ。


2015年05月29日(金)


【思ったこと】
150529(金)哲子の部屋「どうしたら“恋”できるの?」(4)行動随伴性と“これ性”

 昨日の続き。

 行動分析学の教科書には、

(オペラント)行動の直後に好子(コウシ)が出現すると、その後、その行動の出現頻度が増える。これを(好子出現の随伴性による)強化と呼ぶ。

などと書かれている。これは、まさに、当該行動と好子(ヨシコさん?)との出会いであり、「縁」であり、“これ性”であるとも言える。もっとも、通常こうした強化は、「行動→好子出現」という経験が複数回繰り返されることによって可能となる。例えば、ネズミのオペラント条件づけの実験では、「レバを押したら餌が出る」(「レバー押し」という行動に「餌」という好子を提示する)という随伴性が設定されるが、たった1回の経験でたちまちネズミがレバーを押すようになるということはまずあり得ない。10回、20回、...と回を重ねることで初めて、レバー押し行動が高頻度で安定して生じるようになる。

 では、“これ性”と呼ばれるような、たった一回の衝撃的な体験のようなものは、通常の行動随伴性とは別物なのだろうか? 私はそのようには思っていない。

 昨日も述べたような特殊な条件づけ(インプリンティング、味覚嫌悪条件づけ)はもちろんだが、通常の条件づけの中でも、たった1回の結果が、たった1回の行動に随伴するだけで、大きな強化効果をもたらすということはあり得るのではないかと思う。しかしその場合、本人は気づかないかもしれないが、何らかの「お膳立て」が必ずあるはずだ。

 例えば、旅行先で出会った女性に一目惚れするというのは全く偶然の出来事とは言いがたい。そもそも、旅行先で出会うというのは、2人が同じ場所に出かけなければありえないことであって、同じ場所に出かけるためには、ある程度、趣味(旅行という趣味)や、好み(自然風景か、歴史遺産か、グルメか、ブランド物のショッピングか...)が一致していることが前提となる。

 けっきょく、さまざまな場所や文脈の中で起こる「出会い」というのは、さまざまな候補の中から特定の場所や行動機会を選択した上で初めて実現するものであって、全くの偶然ではない。もちろん、現実に出会いが実現するか否かは確率的な現象であるゆえ、実現した時には「運命」とか「幸運」といった形容をしたくなるが、いずれも記述概念に過ぎず、偶然を高める効果はない。神仏に祈ることを否定するわけではないが(←かくいう私もいろいろ祈願している)、より質の高い“これ性”を獲得するには、その確率を高めるための分析と努力が求められる。

 次回に続く。