じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 吉備津神社の駐車場の一角に建てられていた犬養毅(犬養木堂)像。吉備津神社との関係については写真左側参照。


2015年02月9日(月)


【思ったこと】
150209(月)オックスフォード白熱教室(18)カオス理論と「風が吹けば桶屋が儲かる」

 2月7日の続き。番組では「無理数」に続いて「カオス理論」の話題が取り上げられた。ウィキペディアによると、カオスの研究は、「1961年、エドワード・ローレンツにより、簡単な微分方程式から作られる天気予報の気象モデルの数値計算結果がカオス的な振る舞いをすることが発見された。」もっとも、「これらの複雑な軌道の概念は1975年、ジェイムズ・A・ヨークとリー・ティエンイエンによりカオスと呼ばれるようになった。また、マンデルブロ集合で有名なブノワ・マンデルブロなどにより研究が進んだ。」と記されているように、私が高校生だった(1968〜1970年)にはまだこの呼び名は存在せず、大学生の頃になって、マンデルブロ集合フラクタルの話題を耳にする程度であった。

 番組で紹介されていたように、カオス的現象の重要な特徴の1つは「初期条件に非常に敏感」という点にあるようだ。単純な仕掛けや数式で表されるような運動であっても、初期条件がほんのわずか異なるだけでその先の動きは大きく変わる。

 普通、我々は、初期条件と変化を表す数式を知れば、その現象がその先どう変化していくのかをかなりの精度で予測できる。仮に、初期条件として10個の要因があるとして、そのうち5個の要因を知っている科学者と9個の要因を知っている科学者が予測を行えば、後者の科学者のほうがより精密な予測ができるようになる。よって、通常、自然現象を予知・予測する必要がある場合は、それに関与する要因をできる限りたくさん測定することが求められる。

 ところが、カオス的現象となると、10個の要因の99.9%が精密に測定できたとしても、残りの0.1%がほんの少し変動しただけで、実際に生じる現象は全く異なってしまう。天気の予測を例とすれば、変化の激しいイギリスの天気の場合は、それこそ、蝶の羽ばたきだけでその後の天気が変わってしまうこともある。じっさい、天気を予測するプログラムでも、同じデータを入力する際に、小数点4位以下の数値を丸めるかどうかという違いだけで結果の予測が大きく変わってしまうことがあるとのことであった。

 ここからはあくまで類推になるが、昨日の日記でも述べたように、歴史上の大きな出来事なども、蝶の羽ばたきのようなちょっとした変化の有無によって、その展開が大きく変わる可能性があるように思う。もちろん、科学技術の発達、生産性の向上といった、土台となる大きな変化には必然性があり、カオス的現象にはならないと思う。しかし、例えば、関ヶ原の戦いで徳川が勝利できたかどうかとか、幕末に活躍した人物のちょっとした行動の違い(風邪を引いたとか、刀傷が浅くて暗殺されなかったとか、書状の到着が遅れたとか、...)といったことが、明治維新の政治体制を大きく変え、それによって、日本のかたちも大きく異なり、東アジア全体、さらには世界全体のバランスを変えてしまった可能性はあるとは思う。

 風が吹けば桶屋が儲かるという日本のことわざは、一般には、「可能性の低い因果関係を無理矢理つなげてできたこじつけの理論・言いぐさ」という意味で使われているようだが、カオス的現象においては、その可能性もゼロとは言えない。

 ということで、歴史上の出来事はもとより、それ以外のさまざまな現象を説明するにあたっては、その変化を、因果関係の鎖だけで決定論的に理解するというのは無理があるようにも思う。我々は普通、予測が困難であるような現象を「偶然」と名付け、それに関与する無限に近い諸要因を細かく捉えて決定論的に対処するのではなく、確率現象と見なした上で、「それがいつ起こっても対処できるようなレベル」を想定して、それを上回る対策をとろうとしてきた。【具体的には、耐震工事、飛行機が気流に巻き込まれても大丈夫なような設計など】 しかし、予測が困難な現象というのは、必ずしも、関与する要因が多すぎるためではなく、比較的単純であってもカオス的な振る舞いが起こることがある。この場合は、必ずしも確率的現象とは言えないようである。

 カオス的現象はそれが起こってしまってからの変化はきわめて複雑であるが、安定していた状況からカオス的現象に移行する条件や時期さえ予測できれば、それなりの対応が可能であろう。番組ではこれに関連して、ナヴィエ・ストークス方程式ミレニアム懸賞問題の1つ】が紹介されていた。

 次回に続く。