謹賀新年

じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 2015年の元日は例年にない大荒れの天気となった。大晦日には雷とともに雹が降り【写真上】、その後、強風が吹き荒れ、うっすらと雪化粧【写真下】。そんな悪天候ではあったが、今年から、孫と一緒にお正月を過ごせるようになった。



2015年01月01日(木)

【思ったこと】
150101(木)新年の抱負

 毎年恒例の「新年の抱負」。といっても、2012年頃からは毎年同じようなことを書いており、新たに何かを始めようとか、何かの目標を達成しようというというような改まった気持ちは特にない。

 昨年の元日に記したこれからの人生は、活動の束モデルで という考え方を特に修正するつもりはなく、要するに、
  • 現在継続中の複数の「活動の束」の進捗状況を点検し、今後1年間の見通しを立て、実行する
  • 継続が困難、もしくは意義が認められなくなった「活動の束」については早々に打ち切る
  • 必要に応じて新たな「活動の束」があれば開始する
という方針に基づいて粛々と実践を続けるだけである。とはいえ、活動の束の開始/終了時期はマチマチであるため、1月1日というのが特別の意味をもつわけではない。

 「活動の束」型の人生というのは、基本的には、「生涯を賭ける」、「人生を捧げる」、「全身全霊を捧げる」、「命を捧げる」、「身命を投げ打つ」などの一本道人生とは対極をなす生き方である。1つのことだけに莫大な時間や労力を費やすことは決してない。であるからして、失敗しても、それによって被る損失は当該の活動の束の範囲に限定される。そうした場合、同一の活動の束の中で失敗を克服してもよいが、あっさりとその活動を打ち切るという選択もいとわない。また、1つの活動の束の継続期間は数週間、数年、数十年というようにマチマチであるが、数十年単位でみると、全く異なった束で構成される可能性は高い。第三者からは「あの人は数十年前とはまるで別人だ」と思われることもあるだろう。

 「活動の束」型だからといって、かならずしも一貫性に欠けた、ちぐはぐな人生になるわけではない。結局これは、長期間持続する活動の束がどれだけ、またどのくらいの重みで含まれているのか、また、活動の束が全体としてどれだけ整合性を保っているのかに依存している。何らかの信念、思想、宗教などの統制基準を保持している人はその基準に合致する活動を選択していくので結果的は、一貫した人生ということになる。しかし、別段そのような基準を持たなくても、1人の人間が実践する活動である以上は、矛盾・競合するような活動は自然に調整・統合されていくはずである。このほか、社会とどれだけ関わっていくのかによっても、一貫性の程度は大きく変わってくる。無人島で暮らすロビンソンクルーソーであれば、ある日突然、活動の束のすべてをリセットしても他者に迷惑をかけることはないが、現代社会で生きていく限りは、家族、職業、地域、国などと良好な関係を保つ必要があり、信用を得るためには一貫した態度で臨まなければならない。なので、「活動の束」をできるだけ自由に取り替えようとする人は、社会的な関係を最小限にとどめるほうが迷惑をかけずに済む。

 以上は一般論であるが、私個人の場合は、3年後の定年退職のほか、老化に伴う体力的、知的能力の衰えに対処するためにも、これから先の活動の束は大幅に取り替えていく必要がある。正月の過ごし方は、定年退職後の生活に似ており、その試行段階として大きな手がかりを得るチャンスでもある。