じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 一昨日、高松に日帰り出張した。岡山から高松まではマリンライナーで55分前後。岡山県内にありながら快速で70分前後かかる津山よりも早い。

 私が初めて高松を訪れたのは1971年8月だったと思うが、あの頃は、宇高連絡船利用のため、高松港が四国旅行の出発地となっていた。「四国は丸い形の山々が多い」という第一印象があったが、これはおそらく、写真のような山が目に入ったためと思われる。写真下は、讃岐富士で知られる飯野山(標高421.87 m)だが、残念ながら登る機会がない。


2014年9月26日(金)

【思ったこと】
140926(金)日本心理学会第78回大会(17)ACTとマインドフルネス(12)指定討論(4)科学性をめぐる議論

 昨日の続き。

 指定討論ではこのほか、心理療法の科学性をめぐっていくつかの議論があった。
  • ACTやマインドフルネスに関しては、治療プログラムのマニュアル化など科学的要素がある反面、「治療者の人間性」、「クライエントとの治療同盟」、「東洋思想とか仏教」などは科学的ではない要素として含まれている。
  • 欧米では、行き過ぎた科学性への反感があり、その反動として仏教など東洋思想への揺り返しが起こっている。但し、欧米の場合は、科学がベースにあることは揺るがず、その上での揺り返しである。
  • しかし日本の場合は、まだ、心理療法の科学性への移行は始まったばかりであって、科学性が定着しないうちに仏教などの考えを強調してしまうと、アートに逆戻りする危険はないか? ヘタをすると、科学排斥の動きを復活させてしまうのではないか?
  • であるからして、マインドフルネスやアクセプタンスを紹介する場合には、まず「科学としての要素」をきちんと強調した上で、「科学でない部分」もあることを述べるほうがよいのではないか?

といった御指摘であり【←長谷川のメモのため不確か】、私も、まことにもっともであると感じた。ちなみに、私自身は行動分析学のほうからACT、そしてそれに関連してマインドフルネスの紹介を受けたため、科学性がベースにあるという前提で理解を進めていたつもりであったが、いきなり瞑想や仏教の話から入ってしまったら、かなり異なった見方に至っていたかもしれない。

 時間が限られていたため、話題提供者各位から詳しい回答をいただくことができなかったのは残念であった。もっとも、一口に「科学性」といっても、論理実証主義とそれに対する批判、「科学は真理の探究ではなく、同一性(構造や形式)の追求である」という構造構成主義的な科学論、また、
科学とは「自然のなかに厳然と存在する秩序を人間が何とかして見つけ出す作業」ではなく、「自然を人間が秩序づける作業である」
という、行動分析学的な考え方(佐藤, 1976)もあり、どういう立ち位置で科学性を論じるのかによって議論の方向も変わってくるのではないかと思われた。


 次回に続く。