じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 岡山では9月12日以降、最低気温が20℃を下回る日が多くなり(7日間で6回)、厚い布団が1枚必要になってきた。そんななか、時計台前のアメリカフウ(モミジバフウ)も、一般教育棟西側のソメイヨシノも、いくぶん紅葉の気配が見えてきた。

 なお、一般教育棟中庭の芝地は昨年来ずっと「芝生養生中・立ち入り禁止」となっている。いつから立ち入り可能に切り替えるのだろうか。


2014年9月18日(木)

【思ったこと】
140918(木)日本心理学会第78回大会(9)ACTとマインドフルネス(4)マインドフルネスについての私なりの理解(1)

 昨日の続き。ACTの話題はいったん中断し、マインドフルネスについて理解したことを先にまとめておくことにしたい。

 まず、マインドフルネスの大ざっぱな定義は、9月15日に述べた通りであり、
ある特定の仕方で注意を払うこと、つまり、目的にそって、当該時点において、無評価的に注意を払うこと。今ここでの経験に、評価や判断を加えることなく意図的に注意を向けること。
というようになる。

 上記の定義の中には、「意図的に」という言葉が入っているが、本当に「意図的」が可能なのかどうかについては検討が必要であろう。但し、与えられた環境にそっくりそのまま受け身的に(レスポンデント的に)反応するのではなく、その一部を自分の近くに引き寄せたり、逆に遠ざけたりした上で、特定の対象にオペラント的に働きかけることは、人でも動物でも可能である。特に人間の場合は、周辺の環境事象を言語化する力を持っており、また、言葉自体も情動反応を誘発する条件刺激となっていることから、「無評価的に注意を払う」ことは原理的には可能であろうと思われる。但しその手段として瞑想が最も効果的であるのかどうかはさらに検討が必要であろう。

 我々の環境世界には無数の行動随伴性があるという点にも留意する必要がある。行動随伴性は基本的には「こういう行動をすればこういう結果が伴う」という関係で成り立っているが、一人の人間が限られた時間の中で自発できる行動は限られており、それ以外の随伴性は、一度も行動しなければ、その人にとっては存在していないのと同じことになる。また逆に、本人が一度も言語化していないような(「注意を払っていない」ような)随伴性というのも限りなく存在している。

 ということで、自分自身は一度も行動していないが、「仮にこういう行動をすればこういう結果が伴う」という随伴性探しをして言語化してみるとか、普段、知らず知らずに繰り返している行動の随伴性を列挙してみるといった行動自体を強化し、さらには、確立操作、弁別刺激利用、習得性好子の形成などに関連した特別の行動を自発させることで、客観的には環境が変わらないように見えても、その中の随伴性の部分集合を取り替えることで、今までとは異なった生活ができるという可能性は十分にあると思う。

 従来、嫌悪的な条件刺激、あるいは習得性の嫌子が日常行動にnegativeな影響をもたらしていた場合は、
  • レスポンデント条件づけ的な手法によりそれらの刺激の中性刺激化を図る
  • 当該の嫌子を除去する(嫌子消失の随伴性)
  • 嫌子出現阻止の随伴性により、嫌子の出現を未然に防ぐ
  • それらの刺激に晒されるような場所から回避する
という方略をとることが最も有効であると考えられてきたようだが(というか、日常生活ではそういうふうに対処するのが一般的であろう)、マインドフルネスの考え方はそれとは異なっているようであった。初心者のため十分には理解できていないが、要するに、「捨」、英語では「equanimity」という姿勢をもって、偏りなく注意と関心を向けつつ、こだわらず、とらわれずに、「いまここ」を受け止めるということらしい。

 以上記したところまでで、「無評価的に注意を払う」ことを徹底すると、嫌悪的な刺激ばかりでなく、快楽的な刺激、あるいはもうすこしおだやかな、気持ちよさ、心地よさといった感覚も失われてしまうのではないかという素朴な疑問が生じたが、これについては後述。

次回に続く。