じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 昨日の日記で、ウィキペディアで「韓国のテレビ業界では、2002年ごろから喫煙シーンの自主規制を始め、2011年現在、芸能人の喫煙はテレビで見られない。テレビドラマでタバコが写ることはなく、過去の映画作品等のタバコのシーンは「ぼかし」をかける。」と説明されていることについて、大変けっこうなことだと述べたが、韓流ドラマブームの原点冬のソナタ(2002年)では、かなりの頻度で喫煙シーンがあった。
  • A:ユジンと初めて出会ったあと、登校直前にタバコを吸うチュンサン。
  • B:10年後、スキー場視察の際に喫煙するイ・ミニョン。ユジンは、高校時代のチュンサンの喫煙(A)を思い出す。
  • C:スキー場のレストハウス?で、ストーブに火をつけてから喫煙を始めるイ・ミニョン。
  • D:イ・ジョンアと談笑しながら喫煙するキム次長。
  • E:踏切近くに車を駐めて喫煙を始めるキム・サンヒョク。ちなみにサンヒョクはドラマ後半になると、禁煙のはずのスタジオの中でも喫煙をするなど、かなりのニコチン依存となる。
  • F:サンヒョクからタバコを取り上げて、足元で火を消すユジン。これって、吸い殻ポイ捨て?
 このうち、AとBは、イ・ミニョンの動作が高校時代のチュンサンに似ていることを示す重要なシーンであり、ボカシを入れてしまうとドラマが成り立たなくなる。但し、現在、同じようなドラマを作るのであれば、喫煙以外の動作に置き換えることはできたと思う。

 C〜Fの喫煙シーンはそれほど必然性があるとは思えない。


2014年1月22日(水)

【思ったこと】
14022(水)屋根部屋のプリンス(3)正義と悪の相対性

 このドラマでは、朝鮮時代と現代それぞれに悪者がいて、こっそりモノを盗んだり、すり替えたり、なりすましたり、あげくの果てには命を狙ったりしている。現代の場面での主な悪役は、
  • ホン・セナ:幼いころからパク・ハを嫌っており、わざと嫌がらせしたり迷子にさせてしまう。大人になってからは学歴や家柄を偽り、またパク・ハが再び現れた後もパク・ハの小切手を盗んで開店を邪魔したり、パク・ハの母親探しを妨害したり、ヨ・ギルラムを実質殺害し、あげくのはてはイ・ガク殺害を共謀。但し、第19話のところで改心し、警察に自首。
  • ヨン・テム:ニューヨークでは激高してテヨンを海に転落させるがそのまま救助せずに帰国。また、最終的にはイ・ガク殺害や財産の奪取を企画するが、警察に逮捕される。
という2人。こちらの批評では、
「悪役が光る作品は成功する」とよく言われる。悪役が欲まみれで心根が腐っていればいるほど、主人公たちの公平性や誠実性がより際立って見えるし、悪役が主人公たちを苦しめ試練を与えれば与えるほど、視聴者は主人公の“同志”のような気持ちで一緒に悪役に立ち向かおうと主人公に入れ込むようになる。視聴者が悪役の悪事に本気でムカつき、悪役を演じる俳優さんを「大っ嫌い!!」となれば、それはドラマにどっぷりハマっている証拠。そのドラマは大成功と言える。
と、悪役の活躍ぶりを称えている。

 もっとも、冷静に考えてみると、このドラマでは主人公側も結構あくどいことをしている。
  • イ・ガクがヨン・テヨンに成りすましたこと。
  • 意識不明のヨン・テヨンを病室から「拉致」して隔離したこと
しかし、視聴者は、主人公側の行為は悪いことだとは思わない。

 また、ホン・セナやヨン・テムは悪いことばかりしているように見えるが、それぞれ、恵まれない家柄、環境で育っており、そこから何とかして這い上がろうと必死であったことは間違いない。これは、私の心が聞こえる?のポン・マルや悪役のチェ・ジンチョルについても言えることだ。

 そのいっぽう、ドラマの設定の中では、一族が支配するような企業、あるいは王朝時代は、血縁によって跡継ぎが選ばれるのが正しいとされる。革命モノを別とすれば、普通はこの体制を守ろうとするのが正義であり、体制を壊そうとする謀反は悪であるとされる。しかしその体制が続く限りは、非嫡出子はいくら努力しても上に立つことができない。

 いずれにせよ、ドラマを楽しむためには、正義や悪は相対的なモノ、主人公が何かを達成するための努力を妨害するツールとして悪が設定されているというように割り切ることが肝要ではないかと思われる。

次回に続く。