じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



09月のインデックスへ戻る
最新版へ戻る

 ウズベキスタンの空港近くにあったキリスト教会。中央アジア一帯の国はイスラム教の影響が大きいが、旧ソ連時代のロシアの影響もあり、たいがいの国では正教会系の教会が現存しているようだ。


2013年09月14日(土)

【思ったこと】
130914(土)高齢者における選択のパラドックス〜「選択の技術」は高齢者にも通用するか?(19)選択と後悔(13)反事実思考(2)

 昨日の日記で、反事実思考と後悔について書いたが、じつは私自身は、反事実思考と言われてもあまりピンと来ない人間である。というか、後悔をした記憶もない。

 これはなぜだろうと考えてみたが、要するに私の場合、能動的な選択であれ、自分ではどうにもならない外圧であれ、あるいは偶然であれ、過去は過去、すでに起こってしまったことは変えることができないので、そんなことを考えるのはムダだ、くだらん、そんなヒマがあったらこれから先のことを考えろ、という捉え方で一貫してきたように思う。もちろん、思考実験として、「あの時、ああなっていれば、今はこうなっていたかもしれない」ということは多少は考えてみたことはあるが、けっきょく、「あの時ああなっていれば、今とは別の自分になっていただけで、それはそれで1つの人生、しかし、いまある自分も1つの人生、どちらが良いとか悪いとか評価しても意味は無い」という程度で片付けてしまう。このあたりの考えはケヤキの枝振りが象徴する進路の多様性(2012年12月17日)で述べたことがあった。

 もっとも、シュワルツの第七章のあとのほうに書いてあるが、後悔することにも以下のようなメリットがある。
  • 後悔しないよう、真剣に(seriously)決断するようになる。
  • 同じ事態に遭遇した時に、過ちをさけることができるようになる。
  • 事態を改善する(ameliorate)技法を磨くことができる。
  • 迷惑をかけた周囲の人々との信頼を保てる。
 もちろん、技法上のミスだけに限って言えば感情抜きで反省・改善することはできるが、後悔が嫌子となり、その嫌子出現を回避するような随伴性が働かなければ改善行動はなかなか強化されない。

 私自身の特徴のもう1つは、これから先のことについては、あれやこれやと思い巡らすことが多いという点である。といっても「先憂後楽」というような立派な心がけ:
  • 明鏡国語辞典:人の上に立つ者は、世の人よりも先に天下国家のことを心配し、世の人が安楽になってから楽しむべきだということ。
  • 大辞林:天下のことについて世の人に先んじて憂え,遅れて楽しむこと。常に天下の平安を心がけていること。
では全くない。定年後の生活をどう守っていくか、妻に先立たれたらどうしよう、...といった、まことに利己的な事柄について、単に憂うというだけのことである。もっとも昨今の世の中では、年金削減、退職金削減、医療費負担、消費税増税など、将来を憂う出来事はますます増えてきた。その分ますます、過去のことなんぞを後悔しているヒマがあるかという気持ちが強くなる。

次回に続く。