じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 文学部中庭のホウキギ(コキア)の緑が鮮やかになってきた【写真上】。岡大西門入口花壇【写真下】に植える予定で余った苗を、サルビアの隙間に植えさせてもらったのだが、残り物の貧弱な苗であったにもかかわらず自動給水装置のおかげで成長が早く、写真のようになった。このあとの紅葉が楽しみ。


2013年09月13日(金)

【思ったこと】
130913(金)高齢者における選択のパラドックス〜「選択の技術」は高齢者にも通用するか?(18)選択と後悔(12)反事実思考(1)

 今回は、第七章の中の「反事実思考(Counterfactual thinking」について取り上げることにしたい。ウィキペディア(英語版)によれば、これは、
Counterfactual thinking is a term of psychology that describes the tendency people have to imagine alternatives to reality. Humans are predisposed to think about how things could have turned out differently if only..., and also to imagine what if?. Counterfactuals are conditional propositions, containing an antecedent and a consequence .....
と定義されている。なおウィキペディアに関しては、日本語の該当項目は無さそうであった。

 上掲の記述にもあるが、英語では「if only...」あるいは「what if?.」がよく使われる。前者は「〜さえしていれば」、もう1つの「what if?..」は「もし、〜したら(していたら)どうなるだろう」という意味。英語の専門家でないので、微妙なニュアンスの違いを正確に説明することはできないが、
  • 前者は、可能な行動がいっぱいある中で、そのうちのやっていなかった行動1つをとりあげて「〜さえしていればうまくいったのに」
  • 後者のほうは、二者択一的な選択において、選択しなかったほうの展開が、起こってしまった展開よりも良かったのではないかと後悔している
というような印象を受ける。

 第七章では、この反事実思考について、参考になる点がいくつか解説されている。

 1つは、反事実思考は、不愉快な出来事があった時に起こってくるということ。もちろん、あらゆる小説の主人公になってみるという思考も可能ではあるから、論理的には無限に近い思考ができるはずだが、通常は、自分に降りかかった不愉快な出来事についての思考に限られる。であるからして、テレビ番組で大富豪の優雅な生活を紹介していたからといって、もし宝くじが当たっていたら...とか、もし自分が大富豪の家に生まれていたら、...といった負のスパイラルに陥ることはない。

 次に、反事実思考で後悔の対象となるのは、当事者の能動的な関わりに関する部分(自分でcontrolできる部分)であるということ。視界の悪い雨の日にスピードを出しすぎて交通事故を起こしたという仮想の事例では、「もっと慎重に運転していたら」という反事実思考が生じる反面、「もっと視界が良かったら」とか「雨が降っていなかったら」というような思考は起こらないという。なお、これらについての引用文献としては、

Roese (1997). Psychological bull., 21, 133-148.
が挙げられていた。

 反事実思考に関してはもう1つ、「上向き upward」と「下向き downward」という興味深い話題があった。確かに論理的には、「もし○○していれば良かったのに」という後悔だけでなく、「もし○○していなかったら(もし××していたら)とんでもないことになっていた」という下向きの反事実思考も可能である。もっとも、上掲のRoese(1997)でもこのあたりのことが論じられているらしいが、下向きの反事実思考というのは自然には起こりにくいらしい。要するに、現実より望ましい反事実は想像に値するが、現実より望ましくない反事実をあれやこれや思い巡らせても現実を越えた素晴らしい世界にはならない。熱心な宗教家であれば、いま自分がこうしていられることを神に感謝するだろうが、一般人は、いまある自分は当たり前。さらに上向きの可能性があったことのみを後悔することになる。

 余談だが「後悔の反対語(対義語)は?」というのはしばしば議論されているようだ。ネット上では、「後になって悔いる」という意味の時間的な反対語は「先憂」だが、「後になって楽しむ」という意味での反対語は「後楽」という回答もあった。但し「後楽」は「民が楽しんだ後に 自分が楽しむこと」という意味なので、後悔の反対語にはなっていない。しいて候補を挙げれば「よかったちゃん」か。

次回に続く。