じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



09月のインデックスへ戻る
最新版へ戻る

 2020年のオリンピックとパラリンピックの開催都市が東京に決まり、1964年以来56年ぶりの大会が開かれることになった。私自身は1952年生まれなので、1964年の時は小学校6年生であった。もっとも、オリンピックの試合をナマで観戦したことは一度も無く、むしろ、オリンピック終了後の中学生時代(1965〜1968)に、会場の1つであった駒沢公園の中を歩いて通学していた時のことのほうが記憶に残っている。写真は、4年半前に、駒澤大学で行われた研究会参加の時に立ち寄った公園内の風景。楽天版にも関連記事あり。


2013年09月07日(土)

【思ったこと】
130907(土)2020東京五輪で何が変わるか

 9月8日の朝5時前、いつものようにテレビのスイッチを入れたところ、アルゼンチンのブエノスアイレスで行われている2020年のオリンピックとパラリンピックの開催都市の決定を伝えるセレモニーが生中継されていた。意外だったのは、字幕が「東京かイスタンブールか」となっていて、いちばんのライバルとされていたマドリードの名前が消えていたことであった。あとでネットで調べたところ、1回目の投票で東京が42票だったのに対して、マドリードとイスタンブールはともに26票で同数、このため、まず、この2都市で再投票が行われ、イスタンブールが49票、マドリードが45票となり、ここでマドリードが落選していたことが分かった。また、5時20分頃に発表された最終投票結果では、東京が60票、イスタンブールが36票、欠席が1人となり、東京が過半数を獲得して、めでたく開催都市に選ばれた。

 (もちろん、東京招致関係者の並々ならぬご努力とチームワークがあってこその成果ではあるが)事前の報道でも東京が最有力と言われていたので、今回の決定はそれほど意外性が無かったが(というか、万が一、東京以外に決定した場合のダメージを心配していたのでホッとしたといった感じ)、いざ決まってみると、これから7年間、さらには、2020年の五輪終了後がどうなっていくのか、気になることがいろいろ出てきた。

 まず、2020年五輪の経済効果であるが、東京都が説明している直接の効果は3兆円で、長野オリンピックを下回る数字だという。もっとも、各種情報によると、3兆円というのは、「お金をかけすぎない」ことをアピールするためのかなり控えめな数字であり、首都高の前倒し整備や観光産業、スポーツ人口増加などの波及効果、潜在効果を加えると100兆円、あるいは150兆円に及ぶという見方もあるようだ。2012年の国家予算規模ランキングによると、150兆円という規模は、世界第二の日本の歳入172兆1250億円、歳出218兆4500億円をやや下回るものの、第4位のドイツや第5位のフランスを上回る相当な額である。

 長期的な問題はさておき、短期的には、株価や地価、さらには物価の上昇などもありうる。2018年3月に定年退職となる私個人の立場からみても、2020年東京五輪決定が私の老後の生活に与える影響は少なく無いように思われる。

 経済効果より遥かに大きいと思われるのは、「2020年東京五輪を成功させよう!」という具体的な中期目標ができたことで、1つの方向に向かって国民がまとまって動くと期待されている点である。もちろんこれには、メリットもあれば弊害もある。メリットとしては、「そんなことやってもムダだ」と批判されてきたような新規のプロジェクト(教育でも公共工事でも)が「東京五輪成功のため」という理由付けによって賛同されやすくなる点である。1964年五輪当時も、首都高環七通り建設など、同じような理由付けでずいぶんと無理が通ったと記憶している。いっぽう、五輪成功のためにいろいろと無理をすることで、財政や環境などにいずれはそのしわ寄せがやってくる。50年前と同じには至らないだろうが、1964年東京五輪のあとはいろいろな矛盾が吹き出し、光化学スモッグやら大学紛争やらいろいろあって、あまり明るい時代にはならなかったように思う。

 以上述べたように、私のような世代では、オリンピックというとどうしても1964年東京五輪を真っ先に思い浮かべてしまうのだが、今回のブエノスアイレスでの決定を生中継していたアナウンサーやゲストの人たち(有森さんとか大林さんとか)はみな、オリンピックが終わってから生まれてきた人たちである。1960年代と言えば、まだまだ国民が注目する話題が限られており、例えば、1966年放送のおはなはんは「平均視聴率は45.8%、最高視聴率は56.4%。放映当時、その人気ゆえに毎朝放映時間になると水道の使用量が激減する現象が全国で見られたという。」というほどであったが、いまや価値観が多様化した時代。いくら五輪開催で盛り上がるといっても、昔ほどには国民一丸にはならず、1964年の時よりははるかにクールな目でとらえられるかもしれない。