じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



03月のインデックスへ戻る
最新版へ戻る
§§ 2009年版・岡山大学構内でお花見(11)卒業生たちを見送る桜

 3月25日は岡山大学で卒業式、修了式(修士号・博士号授与式)が行われた。今年は桜の開花が比較的早く、卒業記念の写真に彩りを添えることになった。



03月25日(水)

【思ったこと】
_90325(水)[心理]老荘思想とひきこもり(3)中島敦と老荘思想(1)

 昨日の続き。

 午前中の教育講演ではこのほかにも興味深い話題が種々取り上げられた。老荘思想と道教は同一ではない。老荘思想に、神仙思想、古代の民間信仰、陰陽五行、不老長寿の願いなどが取り込まれて道教(民衆道教、教団道教)が確立していったというのが今回の講演における捉え方であったと思うが、昨日も述べたように、その位置づけや相互の影響の度合いについてはいろいろな考え方があるようだ。また、このほかに養老思想(←養老孟司先生とは無関係)の位置づけも重要と思われる。




 昼休みを挟んで行われた午後のセッションではまず、「中島敦の文学に見る老荘思想」という特別講演があった。

 今回の演者の方はカナダご出身の方で、日本文学に造詣が深く、中島敦のほか、谷崎潤一郎や三島由紀夫の研究や、英語への翻訳で多くの業績を重ねておられる方であった。

 ウィキペディアの当該項目にもあるように、中島敦は1909年に東京に生まれ、祖父の中島撫山、父の中島田人、伯父の中島端蔵などの影響を受け幼いときから漢文学に接する機会に恵まれていた。東京帝国大学(現東京大学)国文学科を卒業し、いったん教職に就いたが、持病の喘息への配慮もあってその後教職を辞して、パラオ南洋庁へ書記として赴任。しかし、その翌年の12月4日に気管支喘息で33歳の若さで亡くなった。

 中島敦自体は決して老荘思想の信奉者ではない。代表作品の『弟子』や『李陵』は孔孟思想を反映していると言われる。老荘思想を表現していると言われるのは、言うまでもなく『名人伝』であるが、中島敦の意図がどこにあったのかについては種々の解釈があるらしい。老荘思想への風刺であるという解釈もあるし、健康状態によって孔孟思想と老荘思想の間で揺れていたという説もあるとか。後者の「孔孟思想と老荘思想」の揺らぎに関しては一神教の西洋人には理解しにくいところがあるが、昨日の日記でもちょっと触れたように、日本の神仏混淆と似たようなところがあり、別段不思議ではないという見方もある。

 講演ではこのほか、『悟浄出世』、『悟浄歎異――沙門悟浄の手記――』、『牛人』などにも言及があった。幸いなことに、これらの作品はすべて青空文庫からオンラインで閲覧ができる。

 ちなみに私自身は、中学・高校の頃に中島敦のいくつかの作品を愛読しており、中でも、今回取り上げられた『名人伝』は最も好きな作品であった。中高生の頃にどういう解釈をしていたのかは記憶が定かではないが、たぶん「目で見える限りの名人芸は、まだ最高のレベルではない。真の極致は、もはや俗人には観察不能であり、芸を究めた人だけにしか理解できない」というように考えていたと思う。

 余談だが、私の出身中学は駒沢公園のすぐ南側にあった。今回、駒沢公園の北側にある駒澤大学で、40数年ぶりに中島敦の作品についての話を聴くことになるとは思っても見なかった。そういえば、中学・高校の同級生に、私よりもっと中島敦の作品の愛読している女性がいた。その後、日本美術史の研究者として多大な業績を挙げたが、まことに残念ながら7年ほど前に他界された。


次回に続く。