じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 岡山では、秋雨前線停滞により雨が降り続いており、降水量は、9月1日に44.5ミリ、9月2日に37.5ミリで、2日間で82ミリとなった。これは、9月の平年値134.4ミリの61%に相当している。

 また、前線の北側に位置しているため、最高気温は9月1日が25.3℃、9月2日が27.2℃で、2013年8月の最高気温平均値34.1℃はもとより、8月の平均気温29.3℃をも下回っていて相当に涼しく感じる。ちなみに、前線の南側に位置している東京都東京では、9月1日の最高気温は35.7℃、最低気温は26.3℃、9月2日の最高気温は33.1℃、最低気温は25.8℃であった。東京と岡山の最高気温の差は9月1日が10.4℃、9月2日が5.9℃で、9月1日には10℃以上の差となった。

 写真は、文法経グラウンドに出現した大きな水たまり。勝手に「岡大湖」と呼んでいる。


2013年09月02日(月)

【思ったこと】
130902(月)高齢者における選択のパラドックス〜「選択の技術」は高齢者にも通用するか?(7)選択と後悔(1)なぜ後悔するのか?(1)

 少し間が空いてしまったが、8月28日の続き。今回から、選択と後悔の問題について取り上げてみたいと思う。

 「後悔」についてはシュワルツの本の第7章で取り上げられているほか、TEDの講演などでは医療における選択に関してアイエンガーも言及している。また、後悔はそれ自体、心理学の大きなテーマであり、私の手元にも、

後悔を好機に変える―イフ・オンリーの心理学

などの本がある。

 国語辞典では「後悔」は以下のように定義されていた。
  • あとになって悔やむこと。【大辞林】
  • すでにすんでしまった事柄について、あのときすれば(しなければ)よかったと悔やむこと。【明鏡国語辞典】
  • あとになって、自分のやった事を振り返り、どうしてあんなばかな事をしたのかと、自分の思慮の足りなさを悔しく思うこと。【新明解】
 上掲の定義には若干の差違があるが、自分の力が及ばない過去の出来事を思い出してあれこれ悲しむことは通常「後悔」には含まれない。というか、「後悔」の「悔(=悔やむ)」自体に、
  • 失敗したり,うまくゆかなかったりしたことについて,別の処理をしておけばよかった,とあとになって残念に思う。くやしく思う。後悔する。【大辞林】
  • 失敗したことや十分にできなかったことなどを後から残念に思う。【明鏡国語辞典】
  • [失敗などしてから]ああすれば(しなければ)よかったと、あとで残念に思う。【新明解】
というように、自分の行為(もしくは「不作為」)の関与の意味が含まれているようである。もちろん、「悔やむ」には、「人の死を惜しみ悲しむ」という別の意味もあり、この場合は、別段、自分の行為や不作為が関与していなくても(←関与しているなら、殺人、介護の不備、医療についての誤った示唆など)、悔やむことになる。

 このほか、大辞林には「悔やむ」と「悔いる」についての違いが説明されていた。
「悔やむ」はある行為の結果,好ましくない事態となった場合に,はじめの行為をしなければよかったと思う意で用いる。それに対して「悔いる」は悪いと知りつつ悪事をしたのを,あとになって反省する意となる。


 いずれにせよ、心理学で扱う「後悔」は、過去の自分の行為、もしくは、不作為について、ネガティブな評価行動を行うというような意味になる。

 「後悔」が選択と結び付けられるのは、後悔対象において「Aを選ぶか、Bを選ぶか」、あるいは「するか、しないか」という何らかの選択機会が想定されているためである。但しそれにはいくつかのレベルがある。例えば、大学入試で失敗したことを後悔するという場合、
  • 入試問題のある設問を勘違いして誤答を出してしまい、そのために合格点に達しなかったという後悔。
  • 入試問題で出題された内容について、それをしっかり勉強しておかったことについての後悔。
  • 自分の実力からみて、その大学を志望校に選んだことが適切であったかどうか、という後悔。
というように、入れ子構造の後悔が考えられる。

 このほか、自分の責任が及ばないレスポンデント行動発生についても、そういう発生機会を選択したという「入れ子構造」のオペラント行動について後悔する場合がありうる。例えば、観光バスに乗っている時に車酔いになって嘔吐してしまったという場合、嘔吐自体はレスポンデント行動であって防ぎようがないが、バスに乗る前に酔い止めの薬を飲んでおかなかったとか、そもそも、バスが揺れることが分かっているのにそういう観光コースを選んでしまったというようなオペラント行動は後悔の対象になるかもしれない。

 であるからして、別段、関係妄想に至らなくても、自分の身の回りで起こったあらゆる不幸な出来事は、後悔の対象になりうる。普段付き合いの無い知人が突然亡くなった場合でも「あの人に定期的な健康診断を勧めておけばこんなことにならなかった」と思えば後悔の対象になる。包丁を使った通り魔殺人事件が起こって全くしらない人が犠牲になったような場合でも、「私がもっと、包丁の販売規制について訴えていればこんなことにならなかった」と思えばこれまた後悔の対象になるだろう。

 さて、「後悔」にはそれ自体、行動分析学上のパラドックスがある。通常、後悔を楽しむ人はいない。ということは 、後悔行動のあとには「嫌な気分」に相当する嫌子が出現するはずである。行動の直後に嫌子が出現すれば、その行動は弱化される(起こりにくくなる)はずなのに、なぜ、後悔行動は自然に無くならないのだろうか?

次回に続く。