じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



08月のインデックスへ戻る
最新版へ戻る

 気象庁のデータにあるように、岡山県岡山では8月23日から25日にかけて、秋雨前線南下によりまとまった雨が降り、3日間の合計雨量は79.5ミリとなった。これで8月の合計雨量は25日までで97ミリとなり、8月の平年値87.4ミリを上回った。8月14日〜22日は、雨が降らない猛暑がずっと続いており、農作物や花壇の植物の生育が心配されたが、この3日間ですっかり生気を取り戻した。写真は、大学構内の水たまりと、水たまりに映る「岡山タワー」

※「岡山タワー」(←長谷川が勝手に命名)は正式には「OHK岡山放送電波塔」と呼ばれ、ファジアーノ岡山ホームゲーム開催日に、ファジアーノ岡山を応援するべく、OHK岡山放送の本社屋上電波塔がファジアーノカラーにライトアップされている。高さは不明だが、こちらの比較写真にはめ込んだ場合は、芝・増上寺の屋根の高さとそれほど変わらないのではないかと思われる。


2013年08月25日(日)

【思ったこと】
130825(日)高齢者における選択のパラドックス〜「選択の技術」は高齢者にも通用するか?(3)アイエンガーの「理性vs直感」論への疑問

 8月22日の続き。

 8月20日の日記でもふれたように、8月23日に、アイエンガー先生の「コロンビア白熱教室」の最終回、

第5回 「幸福になるための技術」

が再放送された。

 私自身は2011年初回放送の時に録画・ダビングしてあったが、当時の録画機ではDVD-Rディスクに2カ国語をそのまま録画することができなかった。その後の技術改良?のおかげで、今回は、AVCRECモードで、1枚のディスクに英語・日本語両方の音声をダビングすることができ、日本語の訳ではよく分からなかった部分も英語と対応させることで理解を深めることができた。

 とはいえ、私はどうも、シュワルツに比べると、アイエンガーの論点がイマイチ分からないところがある。アイエンガーの講義では、「理性」と「直感」が重要なキーワードになっていたが、私自身は、人間の行動が、「理性vs直感」という枠組みで説明できるとは考えていない。行動分析学的に翻訳を試みると、おそらく、
  • 「理性」と言っているのは、選択に際して、数量的評価を含めて、慎重かつ精細に比較をすること。「理性的な選択」というのは、そうした、一連の作業を前提とした選択のことを言うのだろう。
  • 「直感」と言っているのは、経験によって培われたショートカット的な決断、あるいは、条件づけによって強化されているような選択方法。「直感による選択」とは、上記の「数量的評価を含めて、慎重かつ精細に比較をする」作業を大幅に短縮し、根拠を言語化・明示せずに選択することを言うのだろう。
というように区別されているようにも思えるが、もう少し、ご著書、論文、講演を繰り返し聞かないと何とも言えない。

 最終回の講義では、シュワルツも強調していた「追求者(maximizer)」と「満足者(satisficer)」の区別が論じられていたが、アイエンガーの場合は、
  • 追求者:理性で追い求める
  • 満足者:直感で満足を求める
 この調査は、全国11の機関の大学卒業間近の学部学生とMBA取得者を対象としたもので、(おそらく)心理尺度でまず追求者と満足者に分類した上で、彼らの就職活動の姿勢、給与への満足度、就職後の幸福度を比較したというものであるが、理性とか直感という言葉は、シュワルツの分類には出てこなかったはずだ。私が理解している範囲で言えば、追求者と満足者の違いはむしろ動機づけのレベルの違い、行動分析学的に言えばその行動を強化している随伴性の違いであり、
  • 追求者:(本当は達成不可能な)究極の到達点と、到達段階の現状との差分が嫌子となり、その嫌子を減らすべく(嫌子消失の随伴性によって)強化されている。
  • 満足者:獲得した好子によって強化されている。
ということになるのではないかと思う。例えば、オリンピックの選手の場合、満足者の選手であれば、大会で銀メダルを取ったことで充分に満足する。いっぽう追求者の選手であれば、金メダルと銀メダルの差分が嫌子となり、次回の大会でその差分を埋めようと(つまり、金メダルを獲得しようとして)さらに頑張ろうとする。しかも、次の大会で金メダルを取った時には、今度は、「2大会連続金メダル」と「今大会での金メダル」の差分が嫌子となって、次の次の大会をめざしてさらに頑張ろうとする。こうした違いは、必ずしも、理性と直感の違いには還元できないように思う。

このあたり、もう少し論点を整理してみたいと思っている。

 次回に続く。