じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 昨日の日記で、岡大・一般教育棟構内(津島東キャンパス)にあった通称「ヴィーナス像」が6月28日(金)に重機によって取り壊され、うつぶせの状態でガレキの中に埋もれていたと書いた(右側に再掲)。 29日(土)の夕刻に同じ場所に行ったところ、ガレキの山はあったものの、なぜか、ヴィーナス像の無残な残骸(「遺体」)はガレキの下にも埋もれて居らず、白セメントの残骸を含めて完全に姿を消していた。なお、通称「ヴィーナス池」のコンクリート部分は写真にあるようにすべて掘り出されていた。



2013年06月29日(土)

【思ったこと】
130629(土)岡大敷地内喫煙ゼロをめざす安全衛生委員活動その後(2)学生から寄せられた質問に答える(1)なぜ大声で怒鳴って喫煙を止めさせるのか?

 6月27日の続き。

 今年度4月からこの取り組みを始めるにわたって、私は、この問題の改善のために行動分析学の原理・技法を100%活用しようと考え、実践している。学内には、徹底的な禁煙を推進する人、あるいは敷地内全面禁煙は時期尚早であると唱える人(←ヘビースモーカーが屁理屈をこねて先延ばしを画策しているケースを含む)などいろいろな立場があることは存じ上げているが、喫煙をめぐる理念的問題や医学的問題は別として、とにかく、目標として「敷地内全面禁煙」を決定したからには、そのための最善の行動計画を立てるべきである。そのさい、私は、行動分析学の原理・技法を100%活用するという専門的立場から提案し、それを実践している。もちろん、他の人たちにそれを押しつけるつもりは毛頭無い。但し、私の提案や実践に反対を唱えるのであれば、行動分析学以外の心理学でも、別の領域の学問でも他大学の導入事例でも何でもよいから、ちゃんとした科学的根拠に基づいて反論を展開してもらいたいと思っている。自己体験だけから「これは無理だろう」とか「そのやり方は逆効果だ」などと言われても困る。感情論や、曖昧な対応は慎んでもらいたいところだ。

 上に述べたように、私はこの問題を行動分析学の応用事例として実践・展開しているので、教養教育科目「行動分析学入門」を初め、いくつかの授業の中で、自分がいまどういう活動をしているのか、なぜそのような方法をとっているのかをお話することがある。その際に出された質問について、いくつか回答をさせていただくことにしたい。

 まず、第一に、私は、講義棟周辺で喫煙者を見つけると、満身の怒りを込めて「ここは禁煙です。直ちにタバコの火を消して、吸い殻は持ち帰りなさい。」と、周囲の人にも聞こえるように大声で怒鳴りつけることにしている。禁煙の看板の目の前で吸っているような学生に対しては、さらに、「この看板が見えないのかっ! 禁煙と書いてある場所でどうしてそれを無視するのか 人に見つからなければ悪いことをしてもいいとでも思っているのか。」などとまくし立てることもあるし、足元に吸い殻がたくさん落ちているような場合は「この吸い殻は誰が片付けてくれると思っているのだ。いま持っている吸い殻はいったいどうするつもりだったんだ?」などと責めることもある。幸い、これまでのところ、学生(すべて男子学生)は比較的素直に従ってくれているが、万が一、居直ったり逆上するようなケースがあった場合は、次の強硬手段もちゃんと用意してある。

 さて、行動分析学の授業では、喫煙行動に対して、「怒鳴りつける」という結果を与えることは、「嫌子出現の随伴性による弱化」として知られている。もっとも、行動分析学の教科書にはたいがい、
怒りにまかせて弱化を使ってはならない
  • 弱化は報復ではない。
  • 本人が必要とする行動の修正を有効に進めるためのツールである。
  • 倫理的な判断は、嫌子そのものの質ではなく、修正の目的や随伴性の設定の仕方を含めて検討されなければならない。
と書かれており、「満身の怒りを込めて大声で怒鳴る」というのは外見上、この鉄則に反しているように見える。しかし、私は決して、喫煙への報復行為として怒鳴っているわけではない。講義棟周辺など人通りの多い場所では、大声で怒鳴ることが当事者にとっての最大の嫌子になると考えているからである。

 ここで改めて、禁煙看板が「乱立」している講義棟周辺で、なぜ吸ってはいけないとわかってるのに喫煙してしまうのか、について考えてみよう。

 まず、喫煙行動自体は、ニコチン依存による禁断症状からの回復、すなわち、禁断症状という嫌子を消失させるための「嫌子消失の随伴性」によって強化されている。依存が少ない人は、自宅のみで喫煙し、登校・出勤から下校・退勤までの時間は我慢できるが、依存がひどくなると、もはや、禁煙看板などは目に入らなくなる。講義棟周辺での喫煙がゼロになりにくいのは、90分間の授業時間中に禁断症状が現れないように、事前に吸っておく、もしくは、授業が終わった直後に吸うという依存者が少なからず居るということを示しているとも言える。しかし、公共の場での禁煙が我慢できないというほどの依存症は、自律的な自己管理ができないという点で病気であり、本来ならば、禁煙外来などでしっかりと治療を受けるべき、そうしないと、社会に出てからも、仕事を中断してたびたび喫煙所に通うはめになり、昇進や昇給にも悪影響が出ることになる。(もちろん、これとは別に、授業の合間に友だちどうしで談笑している時に、ついついタバコに手が出てしまうというケースも無いわけではない。)

 そんななかで、どうすればよいのか。「喫煙は体に悪い」とか「将来の疾病リスクを激増させる」といった脅かしは、
  • 行動の直後に随伴する結果ではない(例えば「タバコを吸った直後に肺がんにかかる」というわけではない)。
  • 確実に起こる結果とは言えない(ヘビースモーカーであっても長生きする人がいるので100%そうなるとは言えない)。
といった点で、「嫌子出現の随伴性による弱化」で用いられる嫌子としては不十分すぎる。この場合は、やはり、人為的に付加する「大きな嫌子」として「周囲に聞こえるような大声で怒鳴りつけて叱責し、非難のシャワーを浴びせる」がどうしても必要と言わざるを得ない。

 ちなみに、「周囲に聞こえるような大声で怒鳴る」というのは、当事者にとって「恥をかいた」という大きな嫌子になることに銜えて、講義棟周辺にいる他の学生に対しても、「ここで喫煙すれば、大声で怒鳴られる」というモデリングの効果もあるはずだ。さらに、携帯クチコミが活発な現代、「あの場所でタバコを吸っていたら怒鳴られた」という情報は、友人の間でも次々と広まっていくはずである。

 なお、上記のような理由である以上、誰もいない建物の片隅でただ一人ポツンと喫煙しているような学生をみつけた場合には、私はそんなに大声では怒鳴っていない。あと、学内を散歩している近隣の方や、学会等の用事で他大学から来られたと思われる方が喫煙しておられた場合は、できるだけ丁寧に話しかけ、かつ、時間が許せば、なぜ岡大が敷地内禁煙を目ざしているのかについて、細かく説明するように心がけている。そのような事例は、こちらの日誌にも記されている。

 次回に続く。