じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 センター試験1日目の朝。岡大・南北通りでは例年通りの交通規制が行われた。朝方はそれほど混雑していないように見えたが(←社会科の開始時刻が1科目、2科目受験で異なるため、受験生が分散した?)、リスニングテスト終了後は、青信号でも殆ど進めないほどに大混雑していた。

 なお、例年、岡大・南北通りには受験生を応援する先輩たちの吊り下げメッセージが多数取り付けられセンター試験の風物詩のようになっているが(昨年の様子はこちら)、今年は私が通行した範囲では全く見かけなかった。当局により禁止されたのか、出身校の試験会場が例年とは別の場所になったためなのか、出身校の先輩の数が少なくて設置できなかったのか、いずれの原因によるものかは不明。


2013年01月19日(土)

【思ったこと】
130119(土)質的研究・文化心理学の交差点:ヤーン・ヴァルシナー教授を迎えて(12)指定討論

 1月18日の日記の続き。

 3名の話題提供に続いて、森岡氏、やまだ氏、ヴァルシナー氏による指定討論が行われた。

 森岡氏の指定討論では、まず、「変化ではなく見えない維持に注目」という点についての言及があった。これについては以前にも述べたが、行動分析学では、行動が増えたり減ったりする減少ばかりでなく、行動が高頻度で生起し続けたり、低頻度の状態がずっと続く原因を分析対象としており、必ずしも目新しい視点とは言えないように思った。次に、ヴァルシナー氏の講演に関して、現代人はoppositeに耐える力が弱く、力のせめぎ合いや対立を内面化せずに行動の中に処理する傾向があるというような指摘をされたが、長谷川の聞き取りのため不確か。また白井氏の話題提供に関しては、人生は「なっていくものなのか」、「構築するものなのか」という問いが出された。ちなみに、私自身は、人生はなっていくものという考えに近い。もちろん、ある時期には能動的に選択し、努力を重ねることで困難を切り開くということもあるが、ごく一部の成功体験者を除けば、人生は90%以上は「なっていく」ものに過ぎない。但し、これまでの議論にもあるように、過去の出来事の意味づけや関係づけを変えることにより、人生全体の物語を再構築し、将来の展望を立て直してみるということはできるとは思う。このほか、回顧型の語りと現在進行形の語りについても言及があったが、長谷川の聞き取りのため不確か。

 続く、やまだ氏の指定討論では、今回の講演・シンポで「意味づける」が多用されていることについて、意味づける行為が文化でありだからこそ質的研究があるのだが、意味とは何かを論じるのは難しいというようなご指摘があった。じっさいこれに関しては、ブルーナ-の本なども出されているし、古くは、OgdenらのThe Meaning of Meaningという本もある。基本的には、経験を有機化(organize)していくことが意味づけであり、時間的順序でもそうでなくてもよい、というようなお話であった。

 このほか、この連載ですでに言及したことも含めて、フロアのほうから、
  • 当事者にとって、選択肢は本当に2つなのか?
    →ヴァルシナー先生の回答は、ここでいう選択肢というのは、未来、過去に向かう方向というような意味
  • インタビューは相互行為であり、客観的中立的な文脈になりうるか?
  • インタビューの中で転機について訊かれれば、当然、ゆらぎやダイナミックスが語られる(←誘導しているのではないか?)
  • ナラティヴはretrospectiveに語られるが、文化心理学はprospectiveな視点。これらの関係は?
  • そもそも文化心理学の目的は何なのか?
など、鋭い質問が浴びせられ、終了予定時刻を30分ほど上回ったものの、時間切れで、十分な討論が行われなかったのは残念であった。