じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



01月のインデックスへ戻る
最新版へ戻る
§§ 赤い夕陽が岡大・文学部を染める風景。「高校三年生」の歌詞は「赤い夕陽が 校舎をそめて」で始まるが、岡大の文学部の校舎が夕陽に染まるとこんな感じになる【夕陽が南東方向に沈む時期限定】。写真下は、3階テラスから眺めた日の入り風景。↓の記事参照。


2013年01月14日(月)

【思ったこと】
130114(月)「高校三年生」の歌詞の記憶

 昨日に続いて、1月12日から14日の三連休中に録画再生で視た番組の感想。今回取り上げるのは、

●思い出のメロディーと私〜高校三年生〜(NHK総合 2012年12月24日放送)

 番組紹介サイトでは、
夏恒例の大型歌謡番組「思い出のメロディー」は、毎年多くのリクエストをいただく。中でも、いちばん多いのが舟木一夫の「高校三年生」。それぞれの心に「かけがえのない青春の一曲」として今も響き続けている。番組では、そんなリクエストをした視聴者を取材し「私」にとっての「高校三年生」を、ミニドキュメント風に描く。またこれほどまでに日本人の心をとらえた「高校三年生」の誕生秘話や歌手・舟木一夫自身の苦悩も紹介。
今回は、「思い出のメロディー」にお葉書やメールを送ってくれた視聴者を取材し、「それぞれの人生と高校三年生」をクローズアップ。「思い出のメロディー」を支えてくださる視聴者の皆さんが主役となって昭和史を語る音楽ドキュメンタリーです。
となっていた。おそらく、この番組のオリジナルは視聴者取材部分のみであり、残りは、別の番組で使われた映像資料(作詞作曲者や舟木一夫へのインタビューなど)の再構成であったようだ。

 ウィキペディアの当該項目によれば、「高校三年生」がリリースされたのは1963年6月であるというから、2013年6月で満五十歳を迎えることになる。今回の番組によれば舟木一夫はいまでも年に50回にのぼる公演をされているそうだが、リリース当時に小学生〜高校生だった世代は今では60〜70歳代となっていて、公演に集まる舟木一夫ファンの殆どもその年代の高齢者であるようだ。舟木一夫自身も、そういう特定世代との交流を大切にしているようであった。

 ウィキペディアの当該項目によれば、この歌の歌詞のモデルは、一説では東京都の私立松蔭高校であると言われるが、当時松蔭高校は女子高であり定時制も無かったことから、実際のモデルは同じ世田谷区内にある都立松原高校であると考えられるという。

 今回の番組で初めて知ったのは、この歌には、もともとはもっとゆったりとしたメロディが考えられていたが、東京オリンピック前年の高揚期にあわせて、作り替えられたという話。作り替えられる前のメロディもそれなりによかった。今の時代ならそっちのほうがよかったかも。

 余談だが、昨日取り上げたアニメ「コクリコ坂から」では、この歌は一度も流れておらず、代わりに坂本九の上を向いて歩こうだけが挿入されていた。音楽著作権の問題があったためか、アニメのムードに合わなかったためなのか、あるいは、「コクリコ坂から」の舞台を1963年5月頃(←ヒナゲシの花が咲いていたので)と想定すると「高校三年生」リリース前という時代背景に考慮したためだったのかは定かではない。

 私自身は、この歌が大流行した1963年には小学校5年生であった。小学生の間でもこの歌はよく知られており、舟木一夫のファンもいた。その後、数年以上にわたり、遠足のバス車内などで、「高校三年生」の部分を「小学6年生」や「中学○年生」に置き換えた替え歌が歌われるようになったが、私自身が実際に高校3年生になった1970年頃は、もはやこの歌が口ずさまれる時代ではなくなり、フォークソングが主流になっていったと記憶している。

 ところで、この「高校三年生」の歌であるが、メロディーのほうはしっかり記憶している反面、歌詞のほうは、かなり思い違い、記憶違いのあることが今回の番組を視聴して新たに判明した。赤字部分が、私の記憶の誤り。
  • 1番の歌詞「ニレの木陰に はずむ声」→「ニレの木陰に 咲いた花
    →何の花が咲いたのかはわからんが、人付き合いが嫌いで植物が好きなため、こういうふうに変容したのかもしれない。
  • 1番の歌詞「クラス仲間は いつまでも」→「暮らす仲間は いつまでも」
    →どっかの寮に入って一緒に暮らすことを想定したのかもしれないが、考えてみれば現実に合わない思い違いであった。
  • 2番の歌詞「泣いた日もある 怨んだことも」→「泣いた日もある 笑ったことも
    →泣いたり笑ったりの毎日のほうが健康的かも。
  • 3番の歌詞「越えて歌おう この歌を」→「肥えて歌おう この歌を」
    →この思い違いは以前から気づいていたが、もともと「越えて」という日本語は「○○を越えて」という目的語が無ければ成り立たないので文法的に変だと思っていた。ということもあって、いまでも「肥えて」を連想してしまう。

 ま、私は、これ以外の歌についても、しばしば歌詞の思い違い、記憶違いをよくするほうである。過去日記でも、
  • 1997年11月29日
    どんぐりの歌:「どんぐりころころ、どんぶりこ」→「どんぐりころころ、どんぐりこ
    ふるさと:「ウサギ追いし」→「ウサギ美味し
  • 2010年9月30日
    ゲゲゲの女房:「“ありがとう”って伝えたくて」→「ありがとオー、手伝えなくって...」
  • 赤とんぼ:「負われて見たのはいつの日か」→「追われてみたのはいつの日か」
    赤とんぼが行動主体だと思っていた。
といった内容を取り上げたことがあった。