じぶん更新日記1997年11月28日抜粋Y.Hasegawa |
「某新聞社の法務に尋ねていた正式な回答が11/10の新聞協会の発表とのメールが某社より.明らかに「スクラップブック」を意識した発表である.と記されており、何と、私が本年1月以来公開しているスクラップブックが、この声明の発端であった可能性まで示唆されている。日記猿人投票ではせいぜい5票どまりの「日記」がここまで騒がれるとは思わなかったが、よく考えてみれば、毎日毎日、ああいう形で新聞記事の引用を続けている「日記」は、あんまり他には見かけない。日記猿人には、いくつかニュース読み日記系のものが登録されているが、自慢ではないが原則毎日更新と継続性の点から言って、「スクラップブック」が主たる検討対象になったとしても、そう不思議ではないのかもしれない。
たとえば、スクラップブックと同じ内容のものが、コマーシャルのバーナーつきで紹介されたり、有料サイトの情報提供の一環として紹介されたとする。内容が同じであっても営利が目的であるということになれば、許諾の判断は変わってくるだろう。あるいは、経営最優先の新聞社があったとする。その新聞社の記事を引用する「日記」が結果的に新聞の部数拡大に貢献しているならOKするかもしれない。同じ内容でも、他新聞社系列のサイトの中で紹介されることになればOKしないかもしれない。(もっとも、そういう利権がらみで情報伝達の許容範囲が異なってくるとすれば、これもまた問題だろうが)
土曜日は、ネットがすいていたので、gooを使って、「新聞記事」と「著作権」をキーワードに関連発言がありそうなHPをいくつか覗いてみた。本日の時点で、この2語の両方を含むページはは561件あった。なかには、総会屋のページのようなものもあったし、岩崎良美のファンクラブのようもあって、該当ページを見つけ出すには苦労した。日記猿人から外に出ると、新聞記事の引用や転載をしているHPが予想外に多いことがわかった。新聞協会が今回の見解は、一部に「スクラップブック」を意識したものであるとの示唆があったが、こうして見ていくと、どうみても深読みしすぎではないだろうか。さて、きょうは、著作物はなぜ保護されなければならないのか、どの範囲までどういう形でで保護されなければならないのか、ということについて考えてみたい。
同じリンゴでも、その種を蒔いてリンゴの木を増やすとなるとちょっと話が違ってくる。もし、そのリンゴが特別の品種であったとすると、品種改良者の多大な努力がそこで報われなくなる。この例からわかるように、著作物保護の根底には、「公共の利益」とともに「個々人(もしくは団体)の努力」を正当に評価・保護することが、人類全体の発展にとってプラスになる、という考え方があるのではないかと思う。
あるいはこういうことも言える。特定産地のブランド品と偽って安物のリンゴを売れば、本物の産地の人々の努力に打撃を与えることになる。
死亡記事であっても、故人がどんな人で、どのような業績があったのかに触れたり故人を追悼する気持ちを出そうとしたものや、交通事故でも事故の背景や周辺の様子などを記述していれば、単な事実の伝達を超え、記者ごとの特徴を反映した記事になります。著作権法では、著作物とは「思想又は感情を創作的に表現したもの」と定義(第2条の1号)しており、記者によって表現に差が出るような記事は、著作物の条件に当てはまると言えます。としている。これは拡大解釈すれば、記者によって書かれた記事は、どんなものでも著作物になりうる可能性が出てくる。
花子さんは6歳年下の太郎氏と、1997年11月17日に結婚した。という記述を考えてみよう。これはどのようにみても事実の記述にすぎないように見える。しかし、こんな可能性はないだろうか。
念のため言っておくが、新聞やテレビの報道が絶対正しいと言っているわけでは決してない。松本サリン事件や、神戸の小学生連続殺傷事件の容疑者逮捕前の報道に、種々の先入観や誤りがあったことは報道機関各社が認めているとおりである。
対象となった著作物を引用する必然性があり、引用の範囲にも合理性や必然性があることが必要で、必要最低限の範囲を超えて引用することは認められません。また、通常は質的にも量的にも、引用先が「主」、引用部分が「従」という主従の関係にあるという条件を満たしていなければいけないとされています。つまり、まず自らの創作性をもった著作物があることが前提条件であり、そこに補強材料として原典を引用してきている、という質的な問題の主従関係と、分量としても引用部分の方が地の文より少ないという関係にないといけません。という見解を表明している。これを厳密に解釈すると、「自らの創作性をもった著作物」が転載資料に先立って存在しなければならないということになる。これでは、ホームページ上で、まず新聞記事などから必要な資料を収集したうえで、Eメイルや併設の電子掲示板など多くの人の意見を求め、あとから自分の最終的な結論を表明するという形式の企画は不可能になってしまう。上記の開設者がそこまで意図されていたかどうかは定かではないが、私自身、ここで、「資料先提示・御意見募集」型の企画を検討しており、特に神戸の事件については、「容疑者逮捕前に、心理学者や精神医学者、カウンセラーなどがどのような犯人像を推測していたのか」について、記事転載に基づく資料提示をしようと考えている。これを開設する場合には、もちろん当該新聞社あてに連絡をとる予定であるが、もし、相手方が転載拒否の姿勢を示した場合は、そう簡単には引き下がらない決意であることをここに表明しておく。
新聞・通信社が発信する記事、ニュース速報、写真、図版類には著作権があり、無断で使用すれば、著作権侵害になります。..【中途略】....利用者の側が、情報をどのような形で利用しようとしているか、動機も、利用形態もまちまちなため、新聞・通信社としても、個々の事情をうかがわないと利用を承諾していいものかどうか、一般論としてだけでは結論をお伝えすることはむずかしい側面もあります。リンクや引用の場合も含め、インターネットやLANの上での利用を希望されるときは、まず、発信元の新聞・通信社に連絡、ご相談をしていただくよう、お願いします。と結んでいる。「お願いします」という柔らかい表現にはなっているものの、ここでは、転載はもとより、リンクや引用の場合でも、まず当該の新聞・通信社に事前の承諾を求めることが不可欠であるとの立場にたっているようだ。
ある新聞社のHPの記事の中に、「無断引用禁止」という表現(たとえばここ)を見かけたが、「無断転載禁止」ならともかく、不特定多数に公開されている情報について、引用まで禁止するのは不適切であると思う。新聞記事、出版物はもとより、Web日記に至るまで、不特定多数に公開された文章は、「公正な慣行に合致し、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内」において、常に、引用され批評される責務を負うし、それを拒むことはできないと思う。
一例をあげれば、私がスクラップブックを登録した97年3月26日の時点で、代表的なWeb日記リンク集である日記猿人の登録番号は566番であった。ほぼ半年後の本日11月20日朝の時点では、最新の番号は1141番と、2倍以上に増加している。新聞各社が、転載の相談を受ける窓口を拡充しても、要請件数が、毎日何千、何万にのぼるようになれば、処理能力はいずれパンクする。転載申請への回答が遅れることに嫌気をさして、いちいち事前の相談をせずに記事を引用・転載していく「非合法」ページも増加していくかもしれない。それをチェックできる能力が新聞社側にないとすると、律儀に転載申請をした正直者ばかりが転載拒否に合うという不公平を生じる可能性だってある。事前承諾を求めるという今回の「見解」は、将来のインターネット利用の飛躍的な増加を見通していないという点で認識に甘さがあり、「悪法でも法は守らなければならない」という一般論だけで新聞業界の権益を確保しようと目論んでいるように思えてならない。