じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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2005年版(1)

目次
【思ったこと】
_50203(木)[心理]2005年もウンザリの血液型番組(1)A型者はイワシを食え!

 BPOの要望(2004年12月9日の日記参照)で少しは下火になったかと思われた「血液型」関連番組であったが、2月3日のテレビ欄をみたところ、みのもんたさんのおもいっきりテレビで、「血液型別・血中脂肪を減らす魚肉菜の選び方」という話題を取り上げていることに気づき、さっそく録画予約した。

 昨年のWeb日記にも書いたが、私は、血液型に分けて他人を評価したり、相性を決めつけたり、娯楽ネタとすることには断じて反対だ。しかし12月9日の日記にも述べたように、自己研鑽やダイエットのために血液型別の指南書を活用することに関しては、私は、少なくとも現時点ではそれほど深刻には受け止めていない。科学性という点では、健康食品の効用を取り上げることと同じレベルであり、それを信じたい人が自己の責任で選択するのは個人の自由。あまり効果があるとは思えないが、思い込みによる自己暗示にもそれなりの効用があるかもしれない。そのことまで否定する気は無い。

 そういう意味では、今回の、みのもんたさんの番組内容は、あの番組でありがちな、信憑性不確かな「健康情報」の1つとして、「信じたい人は勝手にすれば〜♪」程度に考えてもよいかとは思う。以下に記すことは、そのレベルでのツッコミであると考えていただきたい。

 さて、番組の最初のほうでは、「マグロによる血液サラサラ効果は血液型によって違うか」という「実験」を紹介していた。実験では、各血液型者の血液にマグロの肉汁をかけたところ、A型とB型の血液には少しながら凝固反応が見られた。このことからさらに、血液サラサラ効果のある魚として、
  • A型:EPA、DHAが多い魚:イワシ
  • B型:高たんぱく:カレイ
  • AB型:鉄分を多く含む:マグロ
  • O型:EPA、DHAが多く高たんぱく:ニシン
が勧められていた。

 私がよくワカランのは、冒頭の実験とその後のオススメとの関係である。マグロを食べて消化するということと、血液中にマグロの肉汁を混ぜるということは全然別。同じ論理でいくならば、B型者が豚肉、A型者が牛肉を食べると、それぞれ血液が凝固してしまうということになる(あくまで未確認情報だが、豚の90%はA型、牛はB型だそうだ)。

【思ったこと】
_50204(金)[心理]2005年もウンザリの血液型番組(2)グレープフルーツがオススメなのは、A型だからか、和食が多いからか

 昨日に続いて、みのもんたさんのおもいっきりテレビ「血液型別・血中脂肪を減らす魚肉菜の選び方」へのツッコミ。なお、その後、放送記録がこちらに公開されたので、併せてご参照いただきたい。

 さて、番組では、魚に続いて、オススメの果物、肉、野菜が血液型別に紹介された。そこで疑問に思ったのはオススメの果物が
  • A型:アルカリ度が高い果物→グレープフルーツ、バナナ
  • B型:消化酵素が多い果物→パインアップル、ブドウ
  • AB型:アルカリ度が高く消化酵素が多い果物→グレープフルーツ、ブドウ
  • O型:色素成分が多い果物→プルーン、プラム
となっていることへの理由付けである。登場した医学博士S氏によれば【録画されたDVDからの書きおこし、但し、表現の一部は主旨を曲げない範囲で要約・改変。】

●B型の人は一般的に消化酵素が低く、かつ、お肉とかタンパク質が必要なので、消化酵素を入れてやらないとうまく消化できない。
●A型の人はどちらかといういと典型的な和食。穀物を食べるとどうしても酸性になるのでアルカリ度の高い果物を入れてやるといい。
●O型の人はA型に比べると胃酸が出やすいので、色素成分が多い果物で保護してやる必要がある。


ということだが、さてどんなもんだろうか。単にそれだけが理由であるというなら、わざわざ血液型に分ける必要など全く無い。



 これまでにもしばしば見られたことだが、「血液型」俗説では次のような似非三段論法の話術が使われることが多い。

(1)Pという特徴を持つ人は、Rという行動を起こしやすい(あるいは、「Pという特徴を持つ人は、Rになりやすい」)。
(2)Pという特徴は血液型がX型の人に多い。
(3)よって、X型の人はRという行動を起こしやすい(あるいは、「X型の人はRになりやすい」)

 多くの場合(1)の法則自体には、医学・生理学的的根拠がある。いっぽう(2)は、統計的に有意だとか言ってもごく僅かの差、もしくはいい加減なサンプリングである。しかし、(1)の確実さを強調されてしまうと、なんとなく(3)が当たっているように錯覚してしまうのである。

上述の例に当てはめれば、

(1)和食を食べる人(P)は酸性(R)になりやすい。
(2)A型には和食を食べる人(P)が多い。
(3)よって、A型者は酸性(R)になりやすい。

となる。




 では本当のところはどうか。和食が多いかどうかなどということは自分自身がよく知っていること。胃酸の量や消化酵素の量などもちょっと調べればすぐに分かる。それぞれの食習慣や体質に合った果物を食べればいいのであって、血液型に分けたところで殊更に正確な情報が伝わるわけではない。逆に、和食の少ないA型者や、胃酸の少ないO型者を混乱させ、誤った情報を伝える危険が多い。

 ということで、今回の部分については次のように訂正されるべきであると私は思う。
  • 血液型の違いなど気にせず、消化酵素の低い人は、消化酵素の多い果物を食べましょう。
  • 血液型の違いなど気にせず、和食の多い人は、アルカリ度の高い果物を食べましょう。
  • 血液型の違いなど気にせず、胃酸が出やすい人は色素成分が多い果物を食べましょう。

【思ったこと】
_50205(土)[心理]2005年もウンザリの血液型番組(3)両親が同じでも血液型が異なるとご先祖様は違うのか?

 みのもんたさんのおもいっきりテレビ「血液型別・血中脂肪を減らす魚肉菜の選び方」へのツッコミの3回目。当日の放送記録も併せてご参照いただきたい。

 さて、この番組は血液型別魚肉野菜の選び方を取りあげていたはずであったが、その途中ではなぜか「血液型の誕生」という話題が挿入された。
紀元前5万年頃にアフリカでO型人類が誕生。そこから紀元前4万年〜1万年頃にA型ができて、さらに紀元前1万年〜3500年頃にヒマラヤ付近でB型、最後に紀元前900年〜西暦900年頃にAB型が誕生した。O型はアフリカで生まれたから狩猟民族、A型は農耕民族...。
というような内容である。この日の番組の話題や前後の文脈から判断して、要するに、O型人間とA型人間は、その起源や自然環境への適応の仕方が異なるので体質も異なる、だから、オススメの食べ物も違ってくるのだということを言いたかったようだ。

 しかし、仮に血液型誕生の起源がお説の通りであったとしても、血液型最優先で体質が決まると考えるのは明らかな飛躍である。例えば、O型の父と、A型(但しAO型)の母をもつ、2人兄弟が居たとする。兄はO型、弟はA型であったとしよう。また隣の家には、アフリカからやってきた家族が住んでおり、そこにもO型の兄とA型の弟が居たとしよう。

 もし血液型が第一義的に消化の特性や食習慣まで影響を及ぼすというのであれば、人種や両親の違いにかかわらず、O型はO型、A型はA型だけで体質が決まってしまうことになるが、そんなことがあってたまるか。

●血液型の違いにかかわらず、体質は、親子やきょうだい間で一致しやすい。

と考えるべきではなかろうか。同じ親から、ご先祖が狩猟民族の子と農耕民族の子が生まれてくるとでも言うのか。とんでもないことである。




 余談だが、今回の番組の解説者は、アメリカン○イオロジックス○ャパン専属ドクターで○木医院院長、医学博士の○木秀夫先生であった。要するにあの番組ではありがちなことだが「実験」やデータはかなりエエ加減であり、「お医者さんの言うことはちゃんと聞きましょう」という権威づけのもとで提言がなされていた。しかし、番組の冒頭では、この説は自然療法学・医師のダダモ博士(Peter J. D'Adamo←血液型ダイエットの本で有名)の説であると紹介されており、○木先生も、番組の何カ所で「ダダモ博士によれば」と断っており、いったい、単に、ダダモ博士の説を第三者的に紹介しているだけなのか、それともご自分も同じ考えであると主張されているのか分からないところがあった。それゆえ、以上3回にわたって述べたツッコミも、どの部分がダダモ博士向け、どの部分が○木先生向け、どの部分が番組制作者向け(あるいは、みのもんた向け)なのか、ハッキリできないところがある。

 ということもあるが、とにかく、この番組に関するツッコミはこれでおしまい。なお、こちらに寄せられた情報(1/30付け)によれば、2月14日にはテレビ東京系で、懲りもせずに血液型スペシャル番組を流すとか。あきれかえるばかりだが、うっかり忘れなければ、証拠保全のためDVD録画でもしておくつもりだ。




 もう一つ余談だが、昨日、電車の中の吊り広告に、

●「血液型占い」どこまで根拠があるの?

という見出しがあることに気付いた。そう言えば少し前に、文春の記者からEメイルによる取材があった。どっかで立ち読みしてみるか。

【思ったこと】
_50411(月)[心理]これでおさらばしたい「血液型性格判断」

 原則として年2回、紀要論文を書いているが(ネット上公開論文のページ参照)、この春のテーマでは、昨今の情勢に鑑み「血液型性格判断」を取り上げた。

 この問題について私自身が最初に発表したのが1985年であったことから、当初は、「血液型性格判断の二十年」とでも題して論点を整理しようかと企図していたが、年度末の報告書作成や雑務が重なり、そのような取り組みを行うことは到底不可能であると断念、結局、私の血液型性格判断資料集に掲載してある、2004年から2005年2月までのWeb日記の関連記事をまとめ直したという程度の内容に留まった。とはいえ、Web日記もちりも積もれば山となるものだ。まとめ直しただけでも2万1524文字、脚注を入れると2万5061文字にふくれあがってしまった。

 ちなみに、私自身は「血液型性格判断」にそれほど関心があるわけではない。人間行動を多様な視点から理解すべきであるというのが私の主張であって、血液型別の違いなどというのは、取るに足らないどうでもよいことの1つにすぎない。純粋に学術上の関心から「血液型」に真摯に取り組む方々、あるいは、ステレオタイプ形成、ブームといった別の観点からこの社会現象を研究している方々の御努力には敬意を表するが、私個人としては、率直に言って、この問題に関わるのは時間の無駄。今回の紀要論文をもって、できればおさらばしたいところである。

 2004年以降にこの問題を再び取り上げたのは、言うまでもなく、「血液型」関連番組が次々と放送されるようになったためである。 血液型による違いを強調した番組は、TBS系「脳力探険!ホムクル!!」、関西テレビの「発掘!あるある大事典2」、 TBS系の「学校へこう!」、テレビ朝日系の「決定!これが日本のベスト」、テレビ東京系「月曜エンタぁテイメント」、、日本テレビ系の「おもいっきりテレビ」というように、ほとんどすべての民放キー局にわたっている。2004年4月以降に放送された番組の数は『AERA』(2005年1月24日)記事によれば50本以上、『週刊文春』(2005年2月10日)記事では70本以上にのぼるという。

 「放送倫理・番組向上機構(BPO)」が2004年12月8日に「血液型によって人間の性格が規定されるという見方を助長しないよう」放送各局へ要望した後も、
  • 2004年12月19日放送:TV朝日系 「決定!これが日本のベスト100・芸能人100人!血液型大実験SP」
  • 2004年12月28日放送:TBS系「ABOAB血液型性格診断のウソ・ホント!本当の自分&相性探し来年は開運スペシャル」
  • 2005年2月14日放送:テレビ東京系 月曜エンタぁテイメント「血液型スペシャル2」
というように、いくつかの「血液型」特集番組が放送された。但し、これらは、要望表明時点ですでに制作に取りかかっており、放送中止措置の損害を斟酌した上で、駆け込み的に放送された可能性もある。私が把握している限りでは、2005年3月〜4月期には、血液型を大々的に扱ったスペシャル番組は放送されていない。

 放送各局が、BPOの要望に従って「血液型」番組を自粛すれば、今回の「ブーム」はひとまず区切りをつけることになる。また、「生まれつきの属性(性別、血液型、人種など)と結びつけて他人を判断してしまうことの不当性」という人権意識が定着すれば、他者の評価目的に血液型ステレオタイプが持ち出されることも減っていくものと思われる。

 しかし、単に「血液型」は偏見・差別だから止めよう、というだけでは問題は解消しない。差別・偏見の危険性を訴えただけでは、「血液型ステレオタイプ(=テレビ番組などの一方的な情報によって固定観念を受け付けられてしまうこと)」に陥っている人たちを心の底から納得させることはできず、場合によっては、学問に対する弾圧であると受け止められかねない恐れがある。

 ここで留意しなければならないのは、「血液型性格判断」は、必ずしも、学術研究で実証されたという理由で信じられているのではないという点である。個人体験や主観だけに基づいて「当たっている」と判断し、その「信念」に一致する事例だけを肯定的に受け入れようとする。時たま、脳生理学者などが肯定的にコメントすれば「やっぱり正しかったのだ」と得心する。その一方、 血液型による差は無かった(もしくは「それほど顕著ではない」)というような報告を耳にしても、「今回は血液型の影響は検出できないほど微小であった。外に現れない程度であっても何かしら影響を及ぼしている」として、固定観念を改めようとしない。こういう態度を持ち続ける人々に対しては、純粋な学術論争ではなく、まずは、批判的思考(クリティカルシンキング)への理解を求め、多面的な見方を促すという方策が必要となってくる。今回の紀要論文もそのことを強調する趣旨で執筆した。




 ところで、「NPO法人 血液型人間科学研究センター」の能見俊賢氏は2005年2月10日発行の『週刊文春』の取材に対して以下のような考えを表明しておられる【長谷川による抜粋、言及箇所を明確にするため箇条書き化した】。批判的思考という視点から「血液型」論議をとらえる上で重要なポイントを含んでいると思われるので、最後に、これらに対してコメントを述べさせていただくことにしよう。
(1)人の性格は、千人いれば千通り。四分類できるなど、少なくとも私は一度も言及したことはありません。また、人と人との相性は努力次第で、絶対的相性も存在しません。一部でセンセーショナルに性格を決め付けたり、相性の良し悪しを騒ぎ立てる傾向があるのには胸が痛みます。
 それでもこれだけ短期間に広く社会に浸透したのは、実用的で有効であればこそです。血液型性格分析が既にブームを通り越し、社会に定着していることが、その実質性を物語っているのでは
(2)どんな学問も、最初はわからないことだらけ。丹念に事例を集め、仮説を投げかけ、それを裏付ける……の繰り返しが基本です。ガリレオが地動説を唱えた時、著しい迫害にあったように、既存の権威が貴重な新しい研究分野について足を引っ張るべきではない。
(3)対抗できるだけの反論データや客観的な観察の積み重ねもないままに、『関係のあるなし』を論ずるべきではないでしょう。
(4)血液型の存在が分かったのは、わずか百年ほど前。分析も始まったばかりで、まだまだ未知数です。僅かな年月で急成長した分野だけに、弊害や偏見が生じてしまうのは仕方ないでしょうが。
 まず(1)であるが、純粋に学術研究、つまり上述のレベル1の形で研究が行われる限りにおいては、人の性格や相性を4分類で済ますなどという方向に向かうはずがないことは当然のことである。なんでもかんでも「血液型と関係があるかないか」に結びつけてしまうというのでは、そもそも科学的態度とは言えない。

 しかし、血液型をひとたび日常生活に役立つツールとして利用しようとすれば「X型にはYという特徴が多い」というように何らかの傾向に言及せざるをえない。「これだけ短期間に広く社会に浸透したのは、実用的で有効であればこそです。血液型性格分析が既にブームを通り越し、社会に定着している」というのは、まさにその決めつけが行われているという意味に他ならない。いくらテレビ局が「個人差があります」「例外もあります」というように但し書きをつけたとしても、傾向に言及する以上は、そこから逃れることはできない。

 次に「(4)血液型の存在が分かったのは、わずか百年ほど前。分析も始まったばかりで、まだまだ未知数です。僅かな年月で急成長した分野だけに、...」という部分についてであるが、学術研究における100年の年月は決して「始まったばかり」とは言い難い。血液型の存在が分かったのが新しいとしても、そのことを気質や行動傾向と関連づけて分析するツールは、心理学関連分野の中で十分に確立している。行動分析学の創始者のスキナーが「The behavior of organisms: An experimental analysis.」という書物を著したのは1938年であり、古川竹二の『血液型と気質』が刊行された1932年よりも後のことであるが、行動分析学のほうは今では国際的な学会組織に成長している。

 では、「血液型」研究には何が欠けているのであろうか。一番の理由は、「科学」を標榜しながらも、それが、反証可能な形で理論として提示されていないことにある。反証できる形で主張されていなければ、もとより「対抗できるだけの反論データや客観的な観察の積み重ね」などを揃えることはできないのである。結局のところ、「血液型の存在が分かったのは、わずか50年ほど前」、「血液型の存在が分かったのは、わずか100年ほど前」、「 血液型の存在が分かったのは、わずか150年ほど前」...というように、何年経っても、「まだまだ未知数です。僅かな年月で急成長した分野だけに...」と弁明を続けていく宿命にある。

 最後に「どんな学問も、最初はわからないことだらけ。丹念に事例を集め、仮説を投げかけ、それを裏付ける……の繰り返しが基本です」というのはまさにその通りである。いや、本当にそう思っておられるならその通りにやっていただきたいのだ。商業主義や娯楽と切り離し、偏見や差別を排除した形で、純粋な学術研究として「血液型性格判断」が発展していくことを願ってやまない。

【思ったこと】
_50713(水)[心理]血液型偏見番組より遙かに面白い科学実験番組

 夕食時にTBS系「見物人の集まる実験室オモシロ科学マジック50連発スペシャル!」という番組の一部を視た。電気カッターの刃の代わりに紙の円盤を取り付けて木を切る実験、油を注ぐと内側のビーカーが見えなくなってしまうという実験、銅の円筒中にコイン型の磁石を入れるとゆっくりと落下するという実験、人間の声でプッシュホンの音を出す実験など、身近な材料を使いながら、こんな不思議なことが起こるのかということを映像を通して実感できた。

 ところでTBSの番組と言えば、昨年は、ホムクルを初め、各種の血液型偏見番組の乱発に顔をしかめたものであった。しかしその後BPOの要望を受けて自粛、私の知る限り、最近では、血液型偏見・差別をネタにした番組はすっかり姿を消している。例外的に、スーパーフライデー 運命の!?血液スペシャル キレイなカラダになる生活革命なる健康情報提供型番組が放送されたこともあったが(←これもTBS。2005年5月17日の日記参照)、視聴率は10.9%、4位と低迷。血液型ネタでは関心を集められなくなったことを裏付けた。




 血液型をネタとした番組についての批判は血液型性格判断資料集で何度も述べているところであるが、それらは、偏見・差別を助長する恐れがあるというばかりではない。取り上げられる「実験」や「調査」には、何かの法則性を「実証」したなどとは到底結論できないような稚拙、かつ「こじつけ」や「やらせ」の疑いの強いものがあり、あきれ返ってしまうことが多い。

 もっともこれは、テレビ局側の責任に帰するわけにもいかないようだ。いっぱんに、物理学や化学では、1回限りの実験の結果がもつ一般性、反復可能性は非常に高い。しかし心理学の実験はそうはいかない。その違いを理解せずに、同じやり方でデモンストレーション実験の映像を流してしまうところに大きな問題がある。

 例えば、上記の科学実験番組で、銅の円筒の中をコイン型の磁石がゆっくり落ちるという実験をやっていたが、これは、一度だけそういう事例を示せばみんなが納得できる結果であって、何度も繰り返して確かめる必要はあまり無い。

 円盤形に切り抜いた厚紙を電動カッターに取り付けて木材を切る実験なども同様。一度でも「切れた」という結果が示せれば、仮説は証明されたことになる。

 いっぽう、心理学では、1回限りの実験や調査で何かが実証されるということは稀である。その理由は、人間には個体差があり、また、同じ人間であっても行動が状況や文脈によって変動を受けやすく、一般性や反復可能性の保証が難しいということに起因している。

 それ故、(これはあくまで倫理的に許されるならという前提のもとでの話であるが)、園児たちのスイカの食べ方が血液型によって違うのかということを実験で確かめようと思ったら、血液型別に違う帽子をかぶせて最初からレッテルを貼るというようなアーティファクトを除外した上で、いろいろな子どもたちを何度も何度も集めて確かめていかなければならないのである。

 しかし、テレビ番組ともなれば、そういう地道な実験・調査ではインパクトが少ない。そこで、番組制作会社が、都合のいい事例ばかりを恣意的に選び、また時には「やらせ」のような形で番組を構成することとなり、それがますます「血液型による決めつけ」との反発を招く結果に繋がっているのである。

 なお、これは血液型番組に限ったことではない。健康情報提供番組などでは、数人の主婦を対象に、ある物を2週間食べ続けたら血圧がこれだけ下がったというような「実験」を紹介していることもあるが、あれも相当にいい加減。ま、視聴者側のほうで「そういういい加減な実験は相手にしない」というクリティカルな目が養われていけばテレビ局も反省せざるをえなくなるであろうが...。




●血液型番組自粛でクイズ番組花盛り?

という話題については、2005年5月2日の日記で取り上げたことがあったが、どうやらその傾向がますます強くなってきたようだ。内容的には、科学実験モノ、トリビア雑学モノ、国語力テストなどなど。

 しかし、こうしたネタはいつかは尽きるものだ。ネタが尽きて視聴率が下がっていった時、各局が次にどういう話題で復活を狙っていこうとするのか、気になるところではある。くれぐれも、超能力、占い、その他オカルト物に走らないように願いたい。個人的には、もっと地味な、長年の日常努力を称えるような番組とか、自然との共生をめざすような番組に人気が出てくることを期待したいところだが、視聴率アップは難しいだろうか。けっきょく、民放がどういう番組を作るかというのは視聴者次第であり、視聴者側にも主体性と批判的思考の目が求められているということになりそう。



連載はさらに続くかもしれません。