じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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2004年版(3)

目次
【思ったこと】
_41128(水)[心理]昨今の血液型論議(2)アクセス集中でてんてこ舞い

 毎日新聞Webサイトで11月27日、「血液型番組:「性格決めつけ」視聴者から抗議相次ぐ」という記事が掲載され、それがYahooニュースに転載された。その中に私の実名が含まれていたため、この2日間、私の私設サイトへのアクセスが大幅に増えている。

 ReadMeの個別情報によると、私の私設サイトへのアクセスは、11月26日まではほぼ1000台で安定していた。それが、
  • 11月27日:6089
  • 11月28日:12042
と、6倍から12倍にふくれあがった。大手サイトの影響がいかに強大であるか、改めて思い知らされた。
※ ReadMeの登録情報(url、登録メイルアドレス)の変更をしなければならないと思っているのだが、去る7月31日に発生しましたハードウェア障害のため、現在、登録/変更/削除といった、ユーザ変更にかかわる機能ができなくなっています。というメッセージが出たままになっている。ボランティア運営なのでやむをえないことではあるが、なるべく早く復旧されることを願いたい。

 これと並行して、「血液型」番組における差別と偏見について情報を求むの趣旨に賛同された方からのメイルもたくさん届いていた。もっとも、28日朝の時点で公用メイルの受信を行ったところ、途中で通信障害が発生し、90通余りのメイルが読めなくなってしまった。通常、こういう障害が起こった時にはサーバー側にメイルが残されているはずなのだが、再度受信した時には20通程度しか受信BOXに入って来なかった。ということで、11月28日未明までに発信された方で、当該サイトへの掲載が無い場合は、念のためメイルを再送していただくよう、お願いします(但し、月曜以降は多忙のため、掲載作業が遅くなりますことを御了承ください)。




 ところで、いただいたメイルの中には一部、質問や反論(=「血液型こだわり論」からのご意見)も含まれていた。しかし、このサイトの趣旨は、あくまで
「各種テレビ番組をご覧になって、差別や偏見に相当すると思われる内容(出演者の発言を含む)に気づかれた場合、ご自分の血液型に関して不快な思いをされた場合、その内容をできる限り具体的にお知らせください。」となっております(但し、血液型差別や偏見の被害についての一般情報も受け付けています)。
となっている。どうか、趣旨に合致した情報をお寄せいただきますようお願いします。

 それと、個別に回答を求める質問もいただいたが、このことに関してはこちらの記述についてぜひご理解をいただきたいと思う。




 ところで、昨今の「血液型」番組に関しては、Web日記作者からもいくつかメッセージを寄せていただいている。日記才人登録日記としてもよく知られている高樹さんからは10月18日に
 私は心理学も統計学も医学も素人ですし、理系専攻でしたが実験畑ではなかったので、仮説検証のためのデータ収集に関することも素人です。でも、私なりの一般的合理性に照らして、あの番組の調査は、あの番組で主張していることの根拠として何ら役に立たない(あるいはほとんど役に立たない)であろうことは、すぐに思い至ります。「専門家じゃないけど、そりゃヘンだろ?」という感じです。
 そこで不思議なのは、あの手の番組を見た人がその気になってしまうこと、製作側があまりにも自説誘導型かつ非合理的な「調査結果」とやらを用いること、の理由です。
 私からしたら、あんな調査は「バーカ」の一言で片付けたくなるようなことですし(乱暴ですけど)、私のような考え方が多数派なら、製作側ももっと慎重になるんだと思うのですが、実際はああいう番組が制作され、多くの人々が無批判に受け入れているように思われます。
 専門知識がなくても「明らかにヘン」に思うであろう調査に基づくことでも、無批判に「ほう、そうなんだ」になってしまうものなんですね。
 私はそこんところが、どうも納得行きません。もっともっと多数の一般人が、「あれはヘン」と感じるべきことなんじゃないかと思うわけです。まあ、どの程度の人が「あれはヘン」と感じているのか、それこそ有意な統計データはないのですが、Web日記などを見ている印象としては、少なすぎるように思います。
 この疑問についてご興味があれば、いつか日記内で考察頂ければ幸いです。
というご意見をいただいている。上記の「専門知識がなくても「明らかにヘン」に思うであろう調査に基づくことでも、無批判に「ほう、そうなんだ」になってしまうものなんですね。」という件だが、じつは今回いただいたご質問(ご意見?)の中にも
  • 掲題についてですが、統計学上データがあってTVは放映しているのではないでしょうか?
  • 私は「あるある大辞典II」しか見てないのですが、この番組を見た限りでは先生のおっしゃっているようなことはないと思います。この番組では、最近の研究で「血液型により脳の働き方に違いがある」という事実を基に専門の大学教授の話を聞いたりして構成されています。統計的なデータに関してはわかりませんが、少なくとも脳の働きに関しては科学的な根拠に基づいて番組が作られています。【機種依存文字と誤植は長谷川のほうで訂正】
という記述があった。テレビ番組の内容を、比較的「素直」かつ無批判に受け入れてしまう人はまだまだおられるようだ。

 テレビ番組(←純粋な科学番組や報道番組ではなく、娯楽主体の番組)の制作態度に関しては、少し前に興味深い記述を見かけた。これは、こちらのランキングで「蚊にさされやすい血液型ランキング」の一位がO型になっていることに関するものである。

 害虫防除研究所のサイトには、この番組に協力されたことに関する詳細解説がある。その最後の部分の
...また、血液型による刺されやすさの実験をして、必ずダントツにO型が刺されやすくなることはありません。テレビ番組はあらかじめ、コンセプト、ストーリー、結論まで決めてから制作していることが多いのを実感しました。取材を受けても、研究者の意図が十分に反映されずに制作されることが多いことを知っていただきたく思います。制作会社が強引に結果に結びつけることも多いと考えます。
という記述は、大いに参考になると思う。

 「血液型により脳の働き方に違いがある」と主張される大学教授には、いずれ、心理学会の公開シンポに出席していただき、その場で真意を質したいとは思っている。但し、番組の途中に「大学教授の談話」が挿入されていたからといって、その教授が番組全体を監修したわけではない。上記の高樹さんが「あの手の番組を見た人がその気になってしまうこと」と指摘された部分は、心理学のテーマとしても重要であろうと思う。

【思ったこと】
_41202(木)[心理]血液型差別番組を考える(18)「犯人はB型か」というトップニュースの情報的価値

[画像] 12月2日19時台のNHK総合で「奈良 犯人の血液型はB型か」というニュースがトップで伝えられた。奈良市の小学1年の女児が殺害された事件で、遺体や衣服から、長さ2センチから5センチほどの毛が数本見つかり、警察で鑑定をすすめた結果、女の子の血液型とは異なるB型であることが確認されたという内容であった。

 同じニュースは、翌日6時台の「おはよう日本」の中でも「女児殺害犯の血液型はB型か」という見出しで伝えられた(左上の画像)。このほかアサヒコムでも、誘拐犯はB型か 奈良小1女児誘拐殺害事件というニュースがトップで伝えられている(12月3日朝現在)。

 このニュースで私が首を傾げるのは、「犯人がB型かもしれない」ということをトップで伝えることにどれだけの情報的価値があるのかということだ。「犯人が身長170cm前後」とか「犯人は30歳前後」というような情報であるならば、それを聴くことで有力な目撃証言が得られる可能性がある。しかし「血液型がB型である」という情報が伝えられたところで、一般視聴者から新たな手がかりが得られるとは考えにくい。

 犯人がB型であると断定されれば、容疑者はB型者の比率である20%に絞り込むことができることは確かだ。じっさいアサヒコムニュースによれば、「県警は過去に子どもを車で連れ回すなどした県内在住の20〜40代の不審者約300人をリストアップしており、血液型から容疑者の絞り込みを進める。」ということである。しかしそれは警察の仕事である。

 いっぽう、一般社会にこのような鑑定情報が伝えられるとどういうことが起こるか。タダでさえ、昨今の「血液型」番組で偏見を持たれがちなB型である(こちらの情報も参照されたい)。差別が助長されないことを願いたいものだ。

 念のため言っておくが、「犯人が身長170cm前後」とか「犯人は30歳前後」といった情報も、特定の体型や年齢の人物に対して疑いの目を向けたりステレオタイプを形成したりする可能性がある点では同等である。しかし、体型や年齢といった外見的特徴は、目撃情報を得る上できわめて有益な手がかりとなる。いっぽう「血液型B型」はどうか。本来これは血液を抜かなければ分からない情報である。それとも、「血液型」番組で助長された「血液型別の行動傾向ステレオタイプ」に基づいて、行動から血液型を推測しろとでも言うのか。

 なお、専門的なことは分からないが、犯人の毛髪が見つかれば、ABO血液型以外の血液型のほか、DNA鑑定も同じようにできるはず。ことさらにABO血液型だけをトップニュースで報じることにも疑問を持たざるを得ない。

【思ったこと】
_41205(日)[心理]昨今の血液型論議(3)「血液型ブーム」の原因(その1)

 某Web日記作者から、12月4日付のZAKZAKに、「血液型性格診断は正確!?BPOが各局に「問題あり」 専門家「思いあたるフシ」が信じる根拠に」という記事が掲載されていることを教えてもらった。

 「血液型」番組を放送している各局に「放送倫理・番組向上機構(BPO)」が「科学的根拠があるかのような構成で問題がある」と通達した、という報道自体は、11月27日付の毎日新聞記事とほぼ同一でありその後追いという気がしないでもないが、内容はやや詳しくなっている。BPOの調査では、「血液型」番組は、10月だけでも6回、いずれも高視聴率をあげる一方で、抗議も寄せられているそうだ。

 ZAKZAKの記事では、日本では「血液型性格判断ブーム」がほぼ10年間隔で起こること、今回は
最近、医学生理学の立場から『血液型によって免疫力に差があるのではないか』という学説が出されたのがきっかけです。見えないものが形に示されたことは、それらを提唱する人たちの後押しとなりました
というのが原因であろうとする信州大学・菊池聡助教授(心理学)の説明が紹介されていた。記事ではまた、記事ではまた、就職や人事、保育園の組分けなどで、血液型別による「決め付け」が行われてきたことに言及し、番組に対する抗議もこうした差別を危惧(きぐ)する人による指摘が大半を占めていることを紹介している。




 さて、私自身は、血液型性格判断を
  • レベル1:統計的には有意であるが実用的には役に立たない程度の僅かな差
  • レベル2:実用的価値があるほどの顕著な差
  • レベル3:生まれつきの属性(性別、血液型、人種など)と結びつけて他人を判断してしまうことの不当性
という3つのレベルに分けて論議する必要があることを繰り返し説いてきた。

 いま一番必要なのはレベル3の議論である。しかし、これは単に「血液型を語ることは偏見・差別につながるから止めましょう」キャンペーンを展開するだけで解消する問題ではない。
  1. こちらの一般情報にも意見が寄せられているように、偏見・差別を解消するには、そういう意識が生まれる原因まで遡って否定していくことが必要である。仮に「血液型」番組が全面放送中止になったからといって、それだけで偏見・差別が無くなるわけではない。
  2. 「血液型」が本当にブームになっているのか、については、多面的な指標でとらえる必要がある。放送される番組の本数や視聴率だけで判断できるものではない。むしろ「血液型性格判断」がどういう場面で利用され、何によって強化されているのかを明らかにすべきである。
という視点が必要ではないかと思っている。




 さて、「血液型性格判断」がどのような時代に、どういう原因でもてはやされてきたのかについては、各種文献でも色々に論じられている。上にも述べたように、本当にブームが起こっているのかどうかは多面的に検証されなければならないが、とにかく、ある時代に、社会的なニーズのもとで流行した、もしくは注目を浴びたということは確かであると思う。

 大村政男氏の『新訂血液型と性格』、あるいは草野直樹氏の『血液型性格判断のウソ・ホント』などによれば、戦前の「血液型ブーム」は、血液型提唱者がそれを意図したかどうかにかかわらず、当時の政治的背景のもとで注目を浴びていた。例えば1931年発行の『実業之日本』では
台湾原住民の反抗が激しい(当時台湾は日本の植民地だったので)。原住民にO者が多いからである。O型者は、がんらい、一般にきかぬ気で、しかも旺盛な精神力を持っている。そこでA型者の多い内地人(日本本土の住民〕との結婚を奨励して、遺伝的に彼らのなかにA型者を増加すれば、血縁につながる人情の美しさもあって、彼らはだんだん温和従順になってくるであろう」
というような説がまことしやかに説かれたという(←大村『新訂 血液型と性格』からの孫引きによる。長谷川のほうでは記載事実を確認できていない)。

 上記ではO型者は悪者扱いされているように見えるが、その一方では、「O型者を外交官に」という提案がなされたり、O型者だけの輜重部隊が編成されるという事実もあった。いずれにせよ、戦前のブーム(?)にそれなりの政治的背景があったことは確かだ。

 では戦後はどうか。また特に最近のブーム(?)は何によって起こっているのか。次回にこのあたりを述べたいとは思うが、私自身、率直なところ、納得できる説明を見い出せていない。たぶん、こういうことは、心理学者ではなく社会学者が得意とするテーマなんだろう。
【思ったこと】
_41206(月)[心理]昨今の血液型論議(4)O型者へのステレオタイプ

 昨日の日記でO型者のことを書いたところ、某Web日記作者の方から
関係ないですけど、北海道って、O型が多いらしいです。(資料ナシですが)
だから、何だ?って話なんですが、北海道みたいなところに
わざわざ開拓しにくる物好きはO型が多いとか、あるいは、もっと差別的な話で、犯罪者を土工として云々な話しまで。
日本の血液型差別(?)って、根深い物があるなぁと・・・
というメッセージをいただいた。

 「O型者が北海道に多いらしい」ということに関してどこかに資料が無いものかとGoogleで検索したところ、「血液型御本家」のABO WORLDのData Bankの中に、都道府県別の血液型分布というのがあり、北海道でO型者の比率が高いというデータがあった。ここでは、
中では、北海道なんかはO型が少し多くなるんだ。昔、未開の土地へ渡ってみようと思った、フロンティア精神の旺盛な本州の人々には、やはりO型が多くいたんだね。これは、ヨーロッパからアメリカへ渡った人々と同じ傾向なんだ。
そして、もともと住んでいたアイヌの人々はA型が多いんだよ。
と解釈されていた。もっとも、日本人全員が血液型を申告しているわけではないし、北海道民の中で開拓時代に本州から移り住んだ人に限ってO型者が多いという証拠も無い。

 余談だが、上記でアメリカ人にO型者が多いのが「O型者の中に未開の土地へ渡ってみようという人が多かったため」と解釈できるかどうかも甚だ疑わしい。同じData Bankの中の世界の血液型分布を見ると、(あくまで、正確なデータであると仮定しての話だが)ヨーロッパ系アメリカ人の出身国に多いアイルランドやイギリス、あるいはアフリカ系アメリカ人の先祖の多く住んでいた西アフリカ地域にはO型者がもともと多いことが分かる。先祖が住んでいた地域の中からフロンティア精神旺盛の人だけが米国地域に移り住んだわけではなさそうだ。




 ABO WORLDのData Bankの中には交通事故と血液型というデータも紹介されている。こちらは、有効回答サンプル1374名であり調査方法や期間も明記されているので、データ自体は信頼できるものとして受け止めてよさそうだ。もっとも加害交通事故の血液型分布データ:
今回の調査で有効回答サンプルとなった1,374名の血液型をみてみると以下のように、O型(35.6%)、A型(34.3%)、B型(19.6%)、AB型(10.5%)という構成【に】なった。これを日本人の平均的な血液型分布と比較してみると、O型は日本人の平均的な血液型分布よりもやや多く、A型はやや少なく、B型、AB型はほぼ同じ、であることがわかる。
から、交通事故防止のためにどれだけ有用な情報が引き出せるかどうかは疑問である。何度も書いているように、私は
  • レベル1:統計的には有意であるが実用的には役に立たない程度の僅かな差
  • レベル2:実用的価値があるほどの顕著な差
  • レベル3:生まれつきの属性(性別、血液型、人種など)と結びつけて他人を判断してしまうことの不当性
という3つのレベルに分けて論議する必要があることを繰り返し説いているが、少なくともレベル2において、O型者が加害事故を起こしやすいとは到底言えない。妥当な結論はあくまで「どの血液型でも事故を起こす危険がある」ということだ。わずかの差(←偶然的変動の範囲なのか有意な差なのかも疑問)を誇大に解釈して
O型は「歩行者に対する人身事故」、A型は「単独事故」、B型は「交差点における出合頭事故」、AB型は「追突事故」が各血液型の特徴
などとタイプ分けすることにどれだけ意味があるのか、はなはだ疑問である。




 もとのO型者の話に戻るが、O型者がわずかに多いというデータが一人歩きして、O型者へのステレオタイプや偏見を助長しないかどうか、むしろそのことのほうが心配になる。

 それと、最近の「血液型」番組ではもっぱらB型者への差別的発言が問題視されているが、台湾植民地支配やO型者部隊編成にも見られるように、戦前からの「血液型」論議ではむしろ、O型者が話題にのぼることのほうが多かったように思えてならない。

【思ったこと】
_41208(水)[心理]昨今の血液型論議(5)「血液型ブーム」の原因(その2)

 12月5日の続き。今回は、戦後の血液型ブームの原因について、少しだけ考えを述べたいと思う。

 前回
では戦後はどうか。また特に最近のブーム(?)は何によって起こっているのか。次回にこのあたりを述べたいとは思うが、私自身、率直なところ、納得できる説明を見い出せていない。たぶん、こういうことは、心理学者ではなく社会学者が得意とするテーマなんだろう。
と書いたように、これは、心理学が得意とするテーマではない。心理学の方法で解明できるのは、「性格とは何か」、「特定の行動傾向において血液型による違いは見られるのか」、「なぜ当たっていると思われるのか」といった、時代背景フリーな、人間行動の普遍的法則を追究することにある。いや、「普遍的法則」といっても状況や文脈に依存することは確かだが(従って、実際には「普遍法則」が現場でどのように働いているのかを研究する)、少なくとも、時代背景まで考慮に入れて行動を説明する学問ではない。じゃあ、社会学ならそれができるのかということになるが、私自身は社会学がどういう学問なのか未だにさっぱり分からないので何とも言えない。言えるのは「社会学はそれをテーマとして扱うことができる」ということだけだ(←伊○先生、赤○先生、小○先生、藤○先生ごめんなさい)。




 さて、そもそも血液型は戦後、いつ頃ブームになったのか。サトウタツヤ氏(←心理学者)の年表によれば、
  • 1970年頃から1981年頃:第1期 黎明期 カルチャーの産声あがる 血液型の超人・能見正比古の活躍
  • 1982年から1994年頃:第2期 隆盛期 占い師の参入による多彩な展開と忍びよる批判
  • 1985年から1986年頃:第3期 衰退・潜伏期 マスコミ、学者による批判の展開
  • 1990年代以降:第4期 復活期 新しい理論化により大衆の常識として再生
となっている。もっともこれは「カルチャー年表」であって、それに呼応したブームの衰退があったかどうかは定かではない。社会学であればたぶん、本の売れ行き、番組視聴率、大衆雑誌における「血液型」関連語の出現頻度、個人の手紙や日記における「血液型」への言及などから多面的にブームの実態を検証するのではないかと思うのだが、このあたりのことは勉強不足で分からない。




 ともかく戦後のある時期に「血液型ブーム」がなぜ起こったのか。10月27日の日記でも引用した栖原憲司のつぶやき試論(1999.10.31)というサイトでは
  • 高度成長、地縁・血縁共同体の崩壊、核家族化などによって、それまで気心の知れた地縁血縁関係内での社交様式しか持っていなかった大多数の日本人は、知らない人とのコミュニケーションを余儀なくされるようになった。
  • 「血液型」は本来多様であるはずの他者をたったの四つに類型化し、それぞれの行動特性と対応方法を教える。未知の、時として不気味な他者に出会っても、血液型さえ判れば既知の四つのパターンのどれかとして理解可能な存在となり、また四つの対応法のどれかをとれば相手は安心な存在になる。
  • 「血液型」は未知のコミュニケーション領域に臨んで竦んでしまった日本人に与えられた、一時しのぎの便法だった。
というような考察が行われていた(長谷川による要約引用)。



 いっぽう、草野直樹氏の『血液型性格判断のウソ・ホント』は戦後のブームを
一九三〇年代の「血液型ブーム」が帝国主義的イデオロギーを直接手助けするものだったのに比べて、七〇年代終盤からのブームは、戦後培ってきた国民的理性と思考のスポイルという間接的なサポートを行っている点が新たな特徴であると、私は考えています。
と解釈しておられる(93頁)。

 但し、これは
血液型性格判断の喧伝者たちが現代帝国主義を牛耳る意図からそれを企画したという意味ではありませんし、現代帝国主義に血液型性格判断が包摂的に従属しているということでもありません。血液型性格判断の非合理的側面が、そうした時代の諸要求に噛み合ったということです。
ということであって、「血液型」喧伝(けんでん)者が、支配者の命を受けて、大衆の社会的前進の思考をマヒさせるための非合理的思考を培っているというわけではないと断り書きされている。

 この草野氏の『血液型性格判断のウソ・ホント』には、能見データ検証や示唆に富む考察がもりだくさんに含まれているが、最終章で弁証法的唯物論まで持っていく論法には、ちょっとついて行かれないところがある。いや、草野氏の論法自体はそれで首尾一貫しており大いに敬服するのだが、「血液型」批判はクリティカルシンキングで十分ではないかというのが私の考えだ。また、クリティカルシンキングの視点に立つと、弁証法的唯物論の世界観、あるいは社会現象についての解釈のほうが、さらに深い「非合理的思考」に陥っているような気がしてならない。このあたり、次回以降に少しずつ考察をすすめていきたいと思っている。

【思ったこと】
_41209(木)[心理]血液型差別番組を考える(19) BPOの要望と今後の「血液型」番組

 各種報道によれば、「放送倫理・番組向上機構(BPO)」の青少年委員会は12月8日、「血液型によって人間の性格が規定されるという見方を助長しないよう」、放送各局へ要望したという。BPOが私のサイトを閲覧した上で結論を出したなどということはあり得ないが、とにかく、血液型差別番組の自粛を求める公的な要望が出されたということは結構なことだ(以下の記事は、短期間で削除もしくは有料コンテンツに移動される可能性があります)。

 報道内容だけでは誤解する恐れがあるのでBPO御本家のサイトを閲覧したところ、12月10日朝7時の時点では という3本について局側の回答が寄せられており、また委員会議事のあらましというページもあることが分かったが、12月8日の要望自体がどこに掲載されているのかは私には分からなかった。確認できしだい、この日記でもコメントさせていただこうと思っている。




 ところで、報道や局側とのやりとりを見ていると、

●血液型性格判断は科学的に証明されていないにもかかわらず、これらの番組は実証済みであるかのように取り上げている

ということが最大の問題点であると見る向きがあるように思える。しかし、こちらのサイトの最近の執筆内容の中で私が強調したかったのは、科学的な裏付けがあるかないかではなく、むしろ、

●レベル3:生まれつきの属性(性別、血液型、人種など)と結びつけて他人を判断してしまうことの不当性

に関わる問題であった。従って、将来、科学的根拠に裏付けられた「血液型人間学」なるものが体系化されたとしても、他人の評価手段として血液型を利用することについては私は断固として反対する。そこに就職差別や結婚差別が含まれることはもちろんであるが、血液型別の相性、付き合い方、子どもの育て方などをテレビ番組で扱うことも他者へのステレオタイプ形成という点では同根。これからも、そのような偏見・差別が生まれないよう批判活動を続けていくつもりである。




 その一方、自己研鑽やダイエットのために血液型別の指南書を活用することに関しては、私は、少なくとも現時点ではそれほど深刻には受け止めていない。科学性という点では、健康食品の効用を取り上げることと同じレベルであり、それを信じたい人が自己の責任で選択するのは個人の自由。あまり効果があるとは思えないが、思い込みによる自己暗示にもそれなりの効用があるかもしれない。そのことまで否定する気は無い。




 血液型性格判断が科学的に証明されているかどうかというのは、「真か偽か」という二者択一の議論(=全称判断)ではなく、どういう部分についてどの程度の差があるのかを地道に探索し体系化していくべき問題である。

●レベル1:統計的には有意であるが実用的には役に立たない程度の僅かな差

に限って言えば、血液型による何らかの違いが発見される可能性は常にある。但し、同じレベルでは、身長や体重の違いがもたらす差もあるし、ひょっとして、生まれた月による差(←星座ではなく、早生まれ・遅生まれによる就学時の発達の差)が影響を及ぼすことだって考えられる。そんな中で、血液型の違いだけで

●レベル2:実用的価値があるほどの顕著な差

が見出せるとはちょっと考えにくい。仮に見出せた場合でも、まずは、「インフルエンザにかかりやすい血液型の人から優先的に予防注射をする」というように、医療・福祉に貢献する部分に限って活用していけばよい。企業の採用基準に血液型を考慮するとか、血液型別に育て方を変えるなどというのはもってのほかである。

 ところで、超能力番組が誇大に取り上げられた後、今度はそのインチキを暴露する番組が高視聴率を上げたことがあった。民放である以上、視聴率アップをめざすことを一概に否定するわけにもいくまい。ということであれば、年末・年始の番組では、「血液型やらせ実験」(←結論に都合のよい映像だけを意図的に選ぶ場合を含む)について告白・暴露する番組をぜひ放送してほしいものだ。

【思ったこと】
_41211(土)[心理]血液型差別番組を考える(20) A型者への偏見/受動喫煙との関係

 最近の「血液型」番組では、B型者やAB型者に対してマイナスのイメージを与える表現が多いと指摘されてきた。また、12月6日の日記に記したように、戦前はむしろO型者へのステレオタイプな見方が強かった。

 では、日本人に最も多いA型者への偏見は無いのか。最近いただいた情報では、A型者に対しても「神経質だ」、「独裁的だ」といったステレオタイプな表現が見られるほか、現在被告となっているカルト宗教の教祖やヒトラーなどA型者の悪者ばかりを並べてA型者を攻撃する人もいるという。

 こうした偏見は、テレビ番組経由ではなく、むしろ、匿名掲示板の書き込みに多く、そのことで気分を害しているA型者も多いと聞いた。

※ちなみに私自身は、匿名で書き込める大手掲示板には一切アクセスしない主義を貫いている(従って、いかなるスレッドであれ、そこに書かれてある内容を参照することはないし、当然、書き込みも一切していない)ので、A型者への誹謗中傷が行われているのかどうかは確認できていない。




 異なる血液型者の間でお互いをけなすような事態があるとすればそれは大変不幸なことだ。偏見・差別があったからといって、自分と異なる血液型者を攻撃するのはお門違い。諸悪の根源は、

●レベル3:生まれつきの属性(性別、血液型、人種など)と結びつけて他人を判断してしまうことの不当性

にあり、それは、

●「あなたは××型だから〜」
●「あなたは××型なのに〜」
●「××型の人は〜」

として他人を評価してしまうことにある。加害者であれ被害者であれ、こうした表現を無くさない限りは、血液型差別や偏見は決してなくならないと思う。




 ところで、「血液型」番組や、被害者の訴えに対して、一部には
  • 自分は××型だが、そんなことは気にしていない。
  • 周囲がどう言おうと「どうでもいいんじゃん?」って姿勢が大切
  • 「明るくて前向き」で「おおらかさ」があればそんなことは気にしないはず
という形で、「血液型批判」を批判するむきがあるようだ。しかし、差別や偏見は、「気にしない」、「おおらかさ」で解消するようなものでは決してない。100人中99人が気にしないことであっても残りの一人が傷つけられることであるなら、あるいは100人全員が気にしなくても、将来、傷つけられる人が出てくる可能性があるならば、そういう行為は慎まなければならないと私は思う。

 これに関連してすぐに思い浮かぶのが、受動喫煙防止の問題である。公共の場を禁煙にしようという呼びかけに対して、
  • 自分は非喫煙者だが、タバコの煙は気にしていない。
  • 禁煙を呼びかける人は不寛容。
といった声もあるようだが、問題の本質は、寛容か不寛容かではない。弱者やマイノリティにの苦しみに無頓着すぎる輩がいて自分が害毒を垂れ流していることを何とも思わないことに第一義的な問題があるのだ。もちろん、喫煙者すべてを「マナーが悪い」、「周囲への配慮が足りない」「自己中心的」などと決めつけることも、「血液型」問題同様、あってはならないことだと考える。

【思ったこと】
_41222(水)[心理]血液型差別番組を考える(21)「血液型」の懲りない面々

 「放送倫理・番組向上機構(BPO)」が12月8日、「血液型によって人間の性格が規定されるという見方を助長しないよう」放送各局へ要望したことで少しは改善が見られるかと思ったが、そうでもないということが分かった。

 こちらに寄せられた情報によれば、12月19日には

●テレビ朝日系
「決定!これが日本のベスト100・芸能人100人!血液型大実験SP」

が放送され、また、12月28日には

●TBS系
ABOAB血液型性格診断のウソ・ホント!本当の自分&相性探し来年は開運スペシャル

の放送が予定されているという。

 このうち12月19日放送の番組は証拠保全のためDVDに録画してあるが全く視ていない。また12月28日は、私自身はコンボギャムダという辺境の地(←どこかなあ?)に居る予定なのでこの番組を視ることができない(証拠保全のためDVD録画予約はしておいたが)。

 ということで、それぞれの番組が、偏見・差別を助長する内容を含んでいるのかどうかは、現時点では判断できない。とはいえ、28日放送予定のTBSの番組案内の文章には容認できない箇所がある。

 まず、
A型=几帳面
B型=マイペース
O型=大らか
AB型=天才肌
と言われてますが、実は心理学上、「血液型と性格に関連性はない!」そうです。
ところが幼稚園児に実験を行ってみると、あれれ、A型はやっぱり几帳面だし、B型はマイペース。O型主婦のタンスの中はちょっと大雑把だし、個性派・AB型中学生のノートは創意工夫がいっぱい…。
とあるが、“心理学上、「血液型と性格に関連性はない!」そうです。”というのは誰がそう言ったのか、責任の所在を明らかにしてほしいものだ。少なくとも私自身は、「関連性が無いという作業仮説のもとで、地道にデータを集めていくべきだ」、あるいは「何でもかんでも血液型に結びつける(=血液型こだわり主義)のをやめて、もっと多面的に行動をとらえてみよう(=血液型クリティカルシンキング)」と主張しているのであって、「絶対に関連が無い」などと頭ごなしに否定したことは一度も無い。

 続く「番組のみどころ!」には
ホントに血液型と性格に関連性はないの!?
という疑問に答えて、番組ではある心理テストを実施。ゲスト出演者を含め1000人が参加したこのテスト。集計の結果、血液型別に傾向が出たんです。
ということだそうだ。そりゃそうだろう、いろんな番組でこれだけしつこく「A型=几帳面 B型=マイペース」と言われれば、几帳面でないA型者も少しは几帳面になろうと努力するかもしれないし、B型者は「どうせオレはマイペース。やりたいようにやるさ。」と居直るかもしれない。他者への偏見ばかりでなく、自分自身の行動もそれにあてはめてしまう。じっさい、ZAKZAKの12月4日記事には
...思い込みで予言が真実になる『自己成就予言』という現象で、最近10年でA型がより『きちょうめん』になったという研究報告もあります」と菊池助教授。
という引用もあるくらいだ。「血液型決めつけ」による子育てへの影響も計り知れない。

 医学生理学上のファクターがもたらす差が皆無、あるいはごくわずであったとしても、大多数が同じように思い込み決めつければ、統計上有意となるくらいの差は行動評価レベルでも必ず現れてくるものだ。ジェンダー然り、人種差別や民族差別も同様である。もし何らかの調査で、血液型による差が顕著に見られたとしたら、我々はまず、それを偏見の証拠として受け止めるべきである。

【思ったこと】
_41223(木)[心理]血液型差別番組を考える(22)「血液型」論議、2004年のまとめ

 某Web日記のリンクを通じて

血液型性格判断とたたかう

というサイトがあることを初めて知った(油小路ニュー中猫屋の一部)。まことにごもっともな内容であると思う。

 このことに元気づけられてもう1回分、ここで2004年版の論点をまとめておきたいと思う。
  1. 「血液型」論議は、
    • レベル1:統計的には有意であるが実用的には役に立たない程度の僅かな差
    • レベル2:実用的価値があるほどの顕著な差
    • レベル3:生まれつきの属性(性別、血液型、人種など)と結びつけて他人を判断してしまうことの不当性
    という3つのレベルそれぞれにおいて議論すべきである。

  2. 昨今の「血液型」番組は、レベル3に関わる問題を含んでいる。したがって「血液型性格判断」に科学的根拠があるかないか、というのはここでは問題ではない。100歩譲って、いや、1万歩譲って、血液型性格判断に科学的根拠があったとしても、血液型に基づいて他人を評価したり、適性や相性を話題として取り上げるべきではない。

  3. しかし、「血液型」は差別だから止めよう、というだけでは問題は解消しない。差別・偏見の危険性を訴えただけでは、レベル2の段階で「血液型ステレオタイプ(=テレビ番組などの一方的な情報によって固定観念を受け付けられてしまうこと)」に陥っている人たちを心の底から納得させることはできないからだ(10月13日の日記参照)。

  4. したがって、血液型クリティカルシンキングの立場(10月14日の日記参照)から
    • 「血液型と性格には関係があるかないか」といった二者択一型の議論(=いわゆる「全称判断」)は、問題設定自体が誤りであること、未知の現象に向かう時の真の科学的態度はどうあるべきかについてしっかり議論を行うこと。
    • 個人間の行動の差違を何でもかんでも血液型に結びつけて解釈しようという「血液型こだわり主義」を徹底的に批判し、行動の原因を多面的にとらえるためのクリティカルな目を養うこと。
    • 「血液型性格判断」喧伝(けんでん)者たちのダブルスタンダード(「血液型と性格は関係が無い」ことは実証されていない(←全称判断なので実証不可能)などといかにも科学者っぽい議論をふっかけながら、「血液型による違いがあった」という事例は無批判に受け入れてしまうこと)を徹底的に叩くこと。
    • レベル2における行動の差違を、医学生理学上の知見(レベル1の議論)と結びつけて誇大解釈してしまうことの「こじつけ」、論理の飛躍を徹底的に叩くこと。
    • テレビ番組で紹介される「実験」のいい加減さ、ヤラセ、都合の良い事例ばかりの寄せ集めなどについて、追試可能性(再現可能性)の保証を求めていくこと(11月28日の日記の「蚊にさされやすい血液型の項参照)。
    • 「検証」を標榜しながら、曖昧さを追求されると「これは遊びだ」、「楽しんでやっているだけ」、「例外もあります」などといって逃げる、局側の卑怯な態度や言い訳を批判し社会的責任を追求していくこと。
    などが必要。
 以上が2005年に向けた宿題になるのではないかと思っている。年末年始に、「血液型」番組で不快な思いをされた方、差別を受けた方がおられましたら、年明けに情報をお寄せください。




2004年版はこれにて終了。連載は2005年版に続く予定。