じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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2012年版・岡山大学構内でお花見(50)色とりどりのサルスベリ。
 8月11日付けの楽天版(写真上)にも掲載したサルスベリが見頃となった。ここには5種類ほどの色が混在している。


 ※岡山大学構内の花だよりのアルバム(追記更新型)を下半期上半期に分けて公開中です。下半期分は随時追加していきますので、時たま覗いていただければ光栄です。

8月21日(火)

【思ったこと】
_c0821(火)TEDで学ぶ心理学(16)Jane Fonda: Life's third act.(1)

 今回から、

Jane Fonda: Life's third act.(2011年11月)

を取り上げることにしたい。ここで紹介するプレゼンは、ジェーン・フォンダさんが演台に立って、時たま原稿に目を移しながら講演するという形となっていて、写真や動画は一切提示されていない。前回まで5回にわたって取り上げてきた「見せるプレゼン」とは異なり、「聞かせるプレゼン」のお手本と言えるのではないかと思う。

 「聞かせるプレゼン」では、まず内容が分かりやすいこと、そして論点や根拠が明瞭であり、聴衆を惹きつけるような喋り方が必要であろうと思うが、ジェーン・フォンダさんのプレゼンはそれらをすべて満たしている。中高生だったら、英文スクリプトをそっくり暗記してもよいのではないだろうか。

 さて、ウィキペディアの当該項目によれば、ジェーン・フォンダさんは、
ジェーン・フォンダ(Jane Fonda, 本名 Jayne Seymour Fonda, 1937年12月21日 - )は、アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク市出身の女優。父のヘンリー・フォンダ、弟のピーター・フォンダも俳優で、姪のブリジット・フォンダも女優である。

 女優になる前は、演劇学校で学び、雑誌のモデルなどをしていた。ヴァッサー大学で絵画を学び、パリに滞在したこともある。1960年に『のっぽ物語』で映画デビュー。これまで7度のアカデミー賞候補にノミネートされ、1971年に『コールガール』、1978年に『帰郷』と、2度主演女優賞を受賞している。

 私生活では1965年には映画監督のロジェ・ヴァディムと結婚したが1973年に離婚。直後に社会・政治活動家のトム・ヘイドンと再婚。1970年ごろから1975年ぐらいまでベトナム戦争に対する反戦運動に傾倒し、「ハノイ・ジェーン」と呼ばれた。

 1982年から、エアロビクスのビデオ『Jane Fonda Workout』シリーズを発表し、ベストセラーとなる。

 1989年にヘイドンと離婚。1991年にCNNの創設者でケーブルテレビチャンネル・映画制作会社オーナーのテッド・ターナーと3度目の結婚。これも2001年に離婚を迎えた。

 2005年から15年ぶりに女優復帰し2本の映画に出演。
などと紹介されている。ベトナム反戦運動に傾倒した女優として知られているが、ちょうどその頃が私自身の学部学生時代(1971年〜1975年)と一致していたこともあって、芸能界に疎い私にとっては、私が名前を知っている数少ない俳優(←外国人俳優で私が名前を知っているのは10人くらいしかいない)のお一人でもある。

 もっとも、ジェーン・フォンダが出演した映画の中で実際に観たことがあるのは、世にも怪奇な物語(1967年)と、バーバレラ(1968年)の2本だけであった。




 さて、このプレゼンの趣旨は、長寿革命によって実現した、50歳すぎからの第三幕の人生をどう生きるかという提言である。(私を含めて)高齢者世代の多くにとって傾聴に値する内容を含んでいると思う。もっとも、あくまでジェーン・フォンダさんの個人体験に基づく主張であることに留意し、彼女の経歴、さらに現在の人間関係、健康状態、経済的状況などもふまえて参考にしていく必要があるように思う。

 次回に続く。