じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 相変わらず不順な天候が続いており、岡山県岡山では8月14日未明と午前中を中心に12.5ミリの雨を記録した。写真は、午前10時43分頃、黒雲に覆われて夜のように暗くなった様子。

 曇りがちということもあって、14日の最高気温は29.9℃、最低気温は24.9℃となり、真夏日の30℃や熱帯夜の25℃を0.1℃だけ下回った。といっても、湿度が高いため、むしろ蒸し暑さを感じる一日であった。


8月14日(火)

【思ったこと】
_c0814(火)TEDで学ぶ心理学(9)Sheena Iyengar: The art of choosing.選択の科学(8)悲痛な自己決定

 アイエンガー先生がアメリカ人の特徴として3番目に取り上げたのは、

●選択肢を前に 決して 背をむけてはならないという思い込み(どんなに重大で責任を伴う選択であっても、選択を放棄してはならないという信念)

に関する内容であった。具体的には、余命いくばくもない脳無酸素症の赤ちゃんの生命維持装置を取り外すかどうかというきわめて重大な決定を、誰が選択するのかという問題であった。生命維持装置を外せば数時間で亡くなるが、延命処置を続けても数日で亡くなる可能性があり、生き延びたとしても一生植物状態のままとなり、歩くことも 話すことも 人との交流も不可能という状況である。こうした場合、フランスでは、生命維持装置を外すべきかどうか、あるいはいつ外すのかは医師が決める仕組みになっているという。これに対してアメリカでは、最終判断は両親に委ねられているという。調査対象となったケースでは、フランス、アメリカとも、生命維持装置は外され赤ちゃんは亡くなったが、その後、アメリカ人の親のほうが否定的な感情を持ち続ける傾向が大であり、うつ病と診断された親も少なくなかったという。にも関わらず、「最終判断は医師に委ねたほうがよいか」という問いに対しては、全員がノーと答えたということであった。

 自己決定がもたらす困惑の問題は、昨日も引用した、

Barry Schwartz(2005).The paradox of choice.

の中でも言及されている。その部分のスクリプトを以下に引用しておこう。(いずれもTED公式サイト掲載のスクリプト。句読点、及び【 】内の記述は長谷川による補足。)
Health care -- it is no longer the case in the United States that you go to the doctor, and the doctor tells you what to do. Instead, you go to the doctor, and the doctor tells you, "Well, we could do A, or we could do B. A has these benefits, and these risks. B has these benefits, and these risks. What do you want to do?" And you say, "Doc, what should I do?" And the doc says, "A has these benefits and risks, and B has these benefits and risks. What do you want to do?" And you say, "If you were me, Doc, what would you do?" And the doc says, "But I'm not you." And the result is -- we call it "patient autonomy," which makes it sound like a good thing, but what it really is is a shifting of the burden and the responsibility for decision-making from somebody who knows something -- namely, the doctor -- to somebody who knows nothing and is almost certainly sick and thus not in the best shape to be making decisions -- namely, the patient.
米国では既に皆さんが医者のところに行って 医者がどうすればいいか教えてくれるという段階ではなくなりました。その代わりに、皆さんが医者に行き、 医者から、まあ、Aをすることができるし、Bをする事もできる、と言われる。Aにはこのような効果とリスクがあって Bにはこのような効果とリスクがある。あなたはどうしたいですか?と聞かれる。そこであなたは「先生、私はどうしたらいいでしょう?」と聞くと 医者はAにはこのような効果とリスクが、Bにはこのような効果とリスクがあります あなたはどうしたいですか? そこであなたは「先生が私だったらどうしますか?」と聞いてみる。すると医者は「でも私はあなたではありません」と言う。そして結論【行き着くところ】、我々はこれを「患者の自己決定権」と呼ぶのです。このような言い方をするととてもいい事のように聞こえます。でも本当は何が起こっているのかと言うと、決断権の重荷と責任を、それについて何らかの知識のある者から(この場合は医者から)、何も知らず、少なくともとても具合が悪いので、、判断をくだすのに必ずしも最適ではない者、 患者に委ねてしまっている。【何も知識が無く、しかも殆ど病人の状態にあって自己決定ができる万全の状態に無い者、つまり患者さんに判断を委ねてしまっているのです。】
 なお、もとの、アイエンガー先生の話題は、業績リストから検索したところでは、

Botti, S., Orfali, K., & Iyengar, S.S. (2009).Tragic Choices: Autonomy and Emotional Response to Medical Decisions. Journal of Consumer Research, 36 (3), 337-352.

ほか、いくつかの関連論文で論じられているようであるが、まだ読めていない[]。
]アイエンガー先生の著書:

The Art of Choosing【翻訳書:選択の科学

の第7章(翻訳書では「第7講」)を読んだほうが分かりやすいかもしれない。。

 次回に続く。