じぶん更新日記

1997年5月6日開設
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2012年版・岡山大学構内でお花見(48)真夏の花、咲きそろい

 岡大西門・西側花壇(文化科学系総合研究棟・放送大学手前)で真夏の花がほぼ咲きそろった。一部、秋の花も混じっている。中央の黄色い花はオミナエシ。その後ろがコスモス。その後ろに八重咲きオニユリハクチョウソウ、テンニンギク。手前の白い花はハナトラノオ(カクトラノオ)、黄色の百日草、ヘメロカリス、ダルマヒオウギ。なお写真には写っていないが、ほかに、巨大輪マツバボタンテッポウユリグロリオサ、ユウギリソウ、エキナセアなども見頃となっている。


 ※岡山大学構内の花だよりのアルバム(追記更新型)を下半期上半期に分けて公開中です。下半期分は随時追加していきますので、時たま覗いていただければ光栄です。


7月21日(土)

【思ったこと】
_c0721(土)冬のソナタ・新編集版(5)登場人物はいつどのような形で「異母兄妹」を知ったか?/チュンサンの年齢疑惑

 TSCテレビせとうちで放送中の「冬のソナタ・新編集版」についてのメモの連載5回目。

 前回の日記に記したように、放送第19回は、二度目の交通事故のあと、チュンサンが過去の記憶を取り戻し、12月31日に会ってうはずだった場所で「ユジナー サランヘ」と告げる場面で終わる。ユジンとチュンサンに限って言えば、この瞬間が2人の幸せのピークであり、これ以降、最終回のラストシーンに至るまでの間、2人は、「異母兄妹(正確には異母兄妹疑惑)」、そしてチュンサンの脳の後遺症悪化に翻弄されることになる。そんななか、これまで脇役に徹していた周囲の人物も大切な役割を演じることになる。特に、24回ではキム・ジヌ(サンヒョク父)の名演技が光っている。

 さて、ユジンとチュンサンの「異母兄妹」(正確には「異母兄妹疑惑」)であるが、登場人物はそれぞれ独自のきっかけでこれを知る。それぞれが、これに伴ってどのように反応したのかに注目するというのもこのドラマの楽しみ方の1つと言えよう。

 まず、「異母兄妹」に関してはいくつかの伏線が張られている。1つは放送第21回でユジンとチュンサンが写真を撮る際に写真屋から「ご兄妹ではないようですが」とか「愛し合うと顔まで似てくるんですね」と言われる場面、もう1つは、第21回の最後のところで、サンヒョクと会ったチュンサンが別れ際に「もしお母さんが失恋してなかったらキミはユジンとは恋愛できなかった。もし親同士が結婚してたら君らは兄妹だった」と言われる部分。ま、後者は伏線というよりもチュンサンが疑惑を持つきっかけと言ったほうがよいかもしれないが。

 次に、各登場人物がいつどのような形で「異母兄妹」情報を入手したのかを、入手順に並べてみることにしよう。
  • チュンサン
    高校時代、ユジンの家で、カン・ミヒがチョン・ヒョンス(ユジン父、故人)と腕を組んでいる写真を見て、自分の父親はヒョンスであると確信し、アメリカに戻ろうとする。つまり「異母兄妹」を一番最初に知ったのはチュンサンであるが、その記憶は失われてしまった。その後、放送第22回で、チュンサンは、カン・ミヒが「その人は死んだ」と言ったことと、ユジンが「私の父は亡くなったの」という符合、さらにキム・ジヌの研究室で、たまたま昔と同じ写真を見て記憶が蘇った。
  • キム・ジヌ(サンヒョク父)
    放送第20回の終わりのほうで、サンヒョクから「チュンサン=ミニョン」、「チュンサン=カン・ミヒの息子」であることを聞かされる。チヌは当初、チュンサンが自分の息子だと思って日本公演中のカン・ミヒに電話するが否定される。その直後、偶然に遭ったチュンサンから「父親は亡くなっていると母から聞いた」と告げられ、疑いを持つようになる。最終的には、カン・ミヒへ問い糾して確認する(但し、カン・ミヒはチュンサンがヒョンスの子であるとは明言していない。)
  • サンヒョク
    放送第22話の途中で、キム・ジヌから、ユジンとチュンサンの結婚を止めさせてくれと頼まれた時に、併せて告げられる。
  • パク・チヨン(サンヒョク母)
    放送第23回の終わりのほうで、サンヒョクがキム・ジヌと話をしているのをドアの外で立ち聞きして知る。これが、ユジンへの情報ルートとなる。
  • ユジン
     放送第22回の途中で、イ・キョンヒ(ユジン母)からチュンサンとの結婚は絶対に認められないと告げられ、カンミヒがヒョンスと腕を組んでいる写真を改めて見せられるが(←この写真自体はユジンは高校の時から見ている)、この時には「異母兄妹」を察知せず、単に、カン・ミヒに恨まれていて結婚に反対されたのだと思ってしまう。放送第23回の終わりで、パク・チヨン(サンヒョク母)から初めて異母兄妹だったと告げられて驚く。
  • イ・キョンヒ(ユジン母)
    放送第21回の最初のほうで、訪れてきたカン・ミヒからチュンサンは私の息子だと告げられる。但し、ユジンとチュンサンが異母兄妹であるとは考えなかった。というか、イ・キョンヒ(ユジン母)はチョン・ヒョンス(ユジン父、故人)のことを一番よく知っているので、チュンサンがヒョンスの息子であることは否定するはずだ。
 なお、カン・ミヒ(チュンサン母)は当然、チュンサンが生まれた時から父親が誰であるのかを知っている。但し、ユジンがチョン・ヒョンス(ユジン父、故人)の娘であると知ったのは、放送第20回の最初のあたり、サンヒョクのスタジオで、結納品を返しに来たイ・キョンヒ(ユジン母)と偶然すれ違い、サンヒョクからあの人はユジンの母だと告げられた時が初めてであった。

 あと、キム・ジヌが「ユジン・チュンサン異母兄妹説」に疑いを持ったのは、
  • カン・ミヒの入水自殺未遂のあとの「体験」がはっきりしていること
  • 自分の息子ではないかという直感
という点にあったが、もう1つ、チュンサンがサンヒョクやユジンと同じ学年(同じ年)であったことが大きな理由となっている。これについては、放送第24回の途中で、チヌがカン・ミヒに「ヒョンスの子どもがお腹にいると打ち明ければヒョンスは戻っただろう」と告げたことを回想しているシーンとも関係している。イ・キョンヒがヒョンスと結婚してユジンを産んだ時期に、カン・ミヒがヒョンスの子を宿すことはあり得ないからである。

 もっとも、かつて楽天版(2006年2月23日)に書いたように、チュンサンの生年は学籍簿上では1973年生まれとなっており、転校した時は高校2年であるにも関わらず当時19歳であったことが確認できている。このあたりの疑問はその翌日の日記で解釈を試みているものの真相は不明。実際に生まれる2年前に出生届を出しても受け付けられるはずがないし。

 次回に続く。