じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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§§ 2012年版・岡山大学構内でお花見(24)ナニワイバラ

 文学部西側で見頃を迎えているナニワイバラ。昨年の写真が、20115月10日(楽天版)の日記にあり。そのさい「今年の夏以降は耐震改修工事が行われるため、このあたりの木々は大幅に伐採されるものと思われます。今年が見納めかも。」と心配であったが、まことにありがたいことに、伐採されたのはほんの一部で、昨年同様の規模で花が咲いた。

 ※岡山大学構内の花だよりのアルバム(追記更新型)をLife-Xに公開中です。随時追加していきますので、時たま覗いていただければ光栄です。



5月8日(火)

【思ったこと】
_c0508(火)幸福は、多忙と無為のあいだにある?/真の一体改革とは

 GW後半に帰省していたことと、その翌日に日帰り出張で留守にしたこともあって、締め切りつきの仕事がいっぱい溜まってしまった。こうなってくるともはや「好子出現による強化の随伴性」ではなく「締め切りに遅れることによる好子消失を阻止する」という義務的な行動ばかりになってしまって、身動きが取れない状況になってしまう。この多忙状態は一週間後にはいくらか軽減すると思うが、どうせ、片付けた量と同じくらいの新しい仕事も次々とやってくるので根本的には解消しない。前期終了の8月上旬までは同じ状態が続くのではないかと思われる。

 いっぽう、GW後半の帰省中は、妻の実家にノートパソコン1台を持ち込んで、殆ど部屋に籠もってPDF化した文献資料をいくつか読んだり、写真ファイルの整理をしたりしていたが、特に締め切りがあるわけでもなく、また、ノートパソコンの小画面を見続けていると眼がショボショボになって文字が読めなくなってしまったりして、能率はあまり上がらなかった。定年退職後の生活はたぶん、こんな形になるだろうから、よほどしっかりした課題目標を作らないと、1日にできること、1年間でやり遂げられることは殆ど無いのではないかと思えてきた。

 昨年来、いくつかの認知症高齢者施設を訪れる機会があった。どの施設でも、寝たきりの方を除けば、たいがいの人はホールなどに出てきておられたが、ソファにもたれて眠っておられたり、テレビを眺めておられる程度で、何かに活発に取り組んでおられる人は全く見当たらなかった。私が訪れたところはいずれも、施設内で種々のイベントが催されており、それに参加している人たちは結構楽しんでおられるようだったが、不参加の人たちは傍から見ると不活発で、「無為自閉」という表現を使わざるを得ないようにもお見受けした。イベントに参加した方々も、それイベント以外の時間は殆ど同じように過ごしておられるのではないかと拝察した。

 施設を訪問した人がしばしば見かけるのが、お食事時間直前のホールの光景である。入居者は、テーブルに座って、食事が提供されるのをじっと待っていることが多い。入居者どうしが会話を交わすことは少なく、別々のテーブルで、ただ座って待っているだけという方が多いため、きわめて消極的な状態であるように見えてしまう。自力で歩ける人が少ないので、いろいろと工夫は必要であるとは思うが、小規模のグループホームなどでやっているように、入居者自身が配膳や片付けの一部に参加してもらえるようにすれば、もう少し活気が出てくるのではないかという気がした。

 こうして考えてみると、我々の日常生活というのは、多忙と無為という二極の間で営まれているのであって、忙しすぎても、また逆に何もすることがなくても、イキイキとした日常にはならないことが分かってくる。できる限り自立し、その中で、中期的な課題をつくってそれを遂行していくような生活というのが、老後の理想的なスタイルになるように思う。

 少し脱線するが、政治のほうでは、消費増税関連法案の審議が8日、衆院本会議で始まった。野田内閣は、年金や子育てなどを含めた一体改革として位置づけているようである。もちろん、国の財政を健全化することは対外的にみて必要なことであるとは思うが、年金、医療、介護、子育てなどの社会保障の諸課題は、財政の健全化だけで達成される問題では決してない。このWeb日記でも時々書いてきたが、例えば、年金というのは、10年後、20年後の高齢者がいくら年金を受け取れれば良いかという金額保障の問題では決して無い。10年後、20年後において、食料、エネルギー、医療、交通手段、介護など、高齢者の生活を支えてくれる働き手がどれだけ確保できるのか、またそういう働き手の人たち自身の生活の質の向上をどうやってはかれるのかということが一番の問題なのである。年金の額がいくら増えたからといって、その時代になってみて、生活を支えてくれる働き手が不足していたら、受け取った札束は紙切れ同然になってしまう。では福祉関係の職種の給料を増やせばよいかということになるが、人手が限られているなかで特定職種を優遇すれば、別のところで人手不足となり、どこかでひずみが生じることは不可避と言わざるを得ない。例えば、そのことで農業従事者が減れば国内農産物は不足するであろうし、バスやタクシーや宅配の運転手が減れば、買い物や通院はままならなくなる。であるからして、結局は、国全体として、持続可能な産業構造や職種のバランスをどう設計していくのかというプランをたて、それと一体となって財政の健全化をはかっていくのでなければ、安心できる社会は実現できない。10年後、20年後にこれだけの福祉予算が必要だから消費税を上げなければならないというような議論では真の一体改革とは言えないであろう。