じぶん更新日記

1997年5月6日開設
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2012年版・岡山大学構内でお花見(5)一足先に咲く理学部南側のソメイヨシノ

 大学構内のソメイヨシノは殆どが蕾が膨らんでいる状態にあるが、理学部南側にある一本だけはすでに満開となっている。北風があたらないことと、近くの照明によりより長く光が当たっているためではないかと思われる。

 ※岡山大学構内の花だよりのアルバム(追記更新型)をLife-Xに公開中です。随時追加していきますので、時たま覗いていただければ光栄です。

4月1日(日)

【思ったこと】
_c0401(日)新年度の決意/両眼複視の3週間

 今年の4月1日は日曜日ではあったが、例年通り、新入生オリエンテーションが開催された。2年連続で文学部の教育委員長を拝命しているため、この日の13時半〜17時半は、文学部のオリエンテーションの進行係と、文学部での履修等についての説明(95分間)を担当させていただいた。新年度早々から、新入生の皆さんの期待に満ちた表情に接することができて、私自身もいくぶん若返った気分である。

 とはいえ、この日をもって、定年までの年数がジャスト6年間となった。かつ、今年度は、還暦を迎えるという記念すべき年度でもある。6年間と言えば、医歯薬系であれば学部を卒業するまで、文学部であれば学部と大学院修士課程を卒業するまでの期間である。個人的な体験からみても、6年間でできることはきわめて限られている。気持ちを引き締め、できることはしっかりやり遂げる一方、6年間では達成できないと思われる課題はバッサリ捨て、それに関連する書籍は図書館に返却、今後使う予定の無い資料などは廃棄し、少数テーマに集中して悔いの無い過ごし方をしたいと思う。

 具体的には、
  • 来年度までの2年間で、科研の研究テーマに関する確実な成果をあげる。
  • 行動分析学を基本としつつ、私独自の考えを含めた「能動主義心理学」を体系化する。但し、別段、著作集を刊行するつもりはなく、電子媒体で無料公開とする予定である。
  • 学生・院生に対する教育責任を果たす。
  • 勤務先において、拝命した職務をきっちりと果たす。
ということがしっかりできればそれでよいと思っている。

 ところで、若い頃から健康に自信のある私であったが、還暦を迎える年となって、すでに2回、通院を必要とするような深刻事態に見舞われた。

 1つめは、1月の下旬、夜中に突然、右のこめかみから顎のあたりに激痛が走る状態が継続したことであった。どの場所に原因があるのか分からないほどの広範囲の痛みであったが、妻の知り合いの歯医者さんで診てもらった結果、右の奥から2番目の下の歯(歯の神経はすでに死滅)の歯根が炎症を起こしていることが原因であると判明。以後、その歯の治療を皮切りに、虫歯の治療を続けている。健康管理には注意をはらってきたつもりであったが、歯に関しては、行きつけの歯医者さんが高齢になり診療してもらえなくなってから4〜5年以上まったくほったらかしにしており、こういうことになってしまった。

 もう1つはもっと深刻な事態であったのだが、3月12日の後期試験実施日、某重要職務遂行中に遠くのものが二重に見えるという現象が発生した。ネットで調べると「両眼複視」という症状であることが判明した。職務終了後に大学の保健管理センターを受診、その紹介で眼科、さらに脳神経外科に通院することになった。現象として、近くのものは1つに見えるが、遠くの景色ほど別々に離れて見えるような現象であり、まっすぐな道路の白線やガードレールがVの字型に広がって、進行方向に立ちふさがるように見える。向こうから来る車や人も二重になってその片方が目の前に現れてしまうため、車の運転は不可能になった。自転車の場合は、物がぶつかりそうに見える時に片目を瞑ることで何とか対処できた。

 その後、MRIや自己免疫疾患関連の血液検査を受けたが、まことに幸いなことに特段の異常はなく、ステロイド剤、抗生剤、ビタミンB12の服用を続け、3月末の時点でほぼ完治と言える状態までこぎ着けた。根本原因は不明だが、左目の眼球を外側にひっぱる筋肉の力と調整機能が衰えているためであることは確認できている。

 4月1日時点で残っている異状は、遠くの月や火星などが、月の大きさ半個分ほどずれて見えること(目を凝らすと一瞬重なるが、すぐにまた2つに分かれて見えてしまう)、左側に急に振り向いた時に景色全体が二重となり、1つに見えるようになるまでに数秒を要することの2点のみとなった。

 こうした体験を通じて、日常生活を当たり前に過ごすことが、いかに大切で有り難いことであるかを身にしみて感じた。先の大震災で被災された方々のご苦労に比べればほんの些細なことにすぎないが、今後の人生計画にとって大きな体験であった。また、あわせて、自分が一人ではなく、妻をはじめ周囲の人びとによって生かされているということも、理屈でははく実体験として感じることができた。

 というようなこともあって、例年になく引き締まった気分で新年度を迎えることができた。1月以来の2つの体験を通じて、人間いつなんどき、急な不幸や病気に襲われるかもしれないということを実感し、目前の課題に対しても常に真剣勝負で臨めるようになった気がしている。