じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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§§  2月12日はよく晴れていたので、夕刻、近くの運動公園で、「京山・ダイヤモンド富士現象」の撮影にチャレンジした。残念ながら、日没の方位が北に移動したため、公園内で、適当な大きさの展望塔シルエットと太陽が重なるポイントは存在しなくなってしまった。これより夏至に至るまでは、日没の方位はさらに北側に移動するため、運動公園よりもっと南の地域まで出かけないと撮影できない模様。ということで、今季はこれをもって終了。次回は、秋分の日の40日後あたりを狙いたい。

2月13日(月)

【思ったこと】
_c0213(月)QOL評価・向上のための複合的多項随伴性アプローチ(13)長期的分析(9)人生のカタチを描く(9)エコマップとの連携/若者の場合



 昨日の日記で、
3. 本当の「人生のカタチ」は立体であり、これまで描いてきたのは、それを側面から眺めた状態に過ぎない。ある時点での「カタチ」は、それを輪切りにした断面として描かれる。後述するが、その断面では、社会や他者との関係が描かれる。
と述べたが、これを図示すると左のようになる(クリックで拡大)。

 図は35歳の時点で、「人生のカタチ」を輪切りにしたものであり、この事例では、職場(水色)と子育て(茶色)とその他(黄緑)色で「できることエリア」が区切られている。それぞれのエリア内にはいくつかの活動の束があり、それぞれの活動ごとに、外部世界(社会、組織、他者、自然環境)などとつながっている。図の下の部分がその様子を示す。

 ここに示す図では、本人を取りまく周囲の環境(他者、社会環境)との繋がりを可視化するという点では、エコマップと共通する点がある。但し、中心の円内はあくまで個人の「人生のカタチ」であって、家族や家系については考慮していない。ここでは、家族関係は円の外側に配置されることになる。

 さて、これまで示してきた「人生のカタチ」は主として40歳〜70歳あたりの方にとっては、過去を振り返りこれからを展望するツールとして有用である。しかし、それ以前、例えばまだ進路が明確でない20歳台の若者にとっては、そもそも先のことを描くのは困難であるし、また、将来の無限の可能性をカットしてこじんまりとまとめすぎてしまう恐れがあり、あまりオススメできない。ただし、これまでの考え方をお認めいただければ、将来への不安はいくらか解消されると思う。なぜなら、「人生はしょせん活動の束である」と考えることで、人生の目的とは何かとか、自分らしさとは何かといった迷宮から逃れることができるからである。(→もちろん、そういうことを真剣に考えることを妨げるものではない。考えてもよいが、考えなくても別段困ることはないと言っているまでのことだ。) 人生を活動の束と考えることはまた、活動それ自体には「良い活動」も「悪い活動」もなく、強いて言えば、一定期間、継続的に強化され、かつ質的な向上がはかれる活動のほうがオススメであるという程度に考えればよいという気楽さをもたらす。ちなみに、この限りにおいては、盗みの技を向上させながら泥棒を稼業としていくことも1つの活動ではある。とはいえ、そういう活動をしていればいつかは捕まって、残りの人生の大半を刑務所で過ごすことになる。そういう点では、社会に適合的な活動を選んだほうが、その社会から継続的に強化される可能性が高く、はるかに推奨されることは間違いない。いっぽう、ある集団、国、社会のために献身的に尽くすことが「絶対善」になるかと言えば決してそんなことは言えない。例えば会社の発展に尽くす人は結果として、競合する会社を倒産させ、そこの社員たちを不幸にするかもしれない。自分の国のために戦うことは、結果として相手の国の人々の命を奪うことにもなる。人類のために尽くすこともまた、他の生物を犠牲にするかもしれない。

 若者の場合、どんなに努力しても1つの活動の継続が困難になることはありうるだろう。しかし、その場合でも、新たに別の活動を立ち上げればそれでよいのであって、これまで続けてきた活動に執着する必然はない。どういう活動を選ぶかということよりも、その活動を選んだ場合に、それを総合的に強化していく仕組みをどのように確保するかということに注意を向けたほうがよい。


 次回に続く。