じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 一般教育棟構内に「自転車は自転車置き場に置いて下さい」という看板がある。日本語として間違いがあるわけではないが、以前より、何となく違和感があった。1つの理由は、左右に分割すると、右側は「自転車は自転車」、左側は「置き場に置いて下さい」となり、同語反復的で冗長な感じがするためではないかと思う。「自転車は所定の場所に駐めて下さい」とでもすれば、いくらか日本語らしくなるかも。

1月29日(日)

【思ったこと】
_c0129(日)上野千鶴子特別招聘教授着任記念学術講演・シンポジウム(19)シンポジウム(6)上野氏のリスポンス(3)/討論(1)

 昨日の続き。

 上野氏はリスポンスの中で、「言説空間の空中戦。理論は“イタズラをセクハラ”というように状況を再定義するもの。」といった話題に関連して、DVの問題化は、決して言説空間の空中戦ではなかった、フェミニストがシェルターへのアクションリサーチを行うことによって生まれてきたというようなことを言われた。児童虐待の場合、子どもがクレームの申し立てをすることはできない、それゆえ、当事者は専門家となる。

 このほか、民法の生活扶助義務と嫁の役割、人権と正義の問題などについても言及されたが、メモが散逸してしまって詳しく記すことができない。

 もう1つ、介護保険の真の利用者は誰か?についても言及があった。これは小泉氏のコメントにもあるように、中産階級の家族の負担軽減が目的であり、これは自明であるので御著書には書かなかったというなことを言われた。もともと、介護保険制度実現の推進者は連合傘下の大企業労働者であったようだが、この点は未確認。いずれにせよ、建前上は利用者本位であるが、要介護高齢者は当事者にはなっておらず、姥捨ての原理が働いている。そこに当事者主権を持ち込み、中産階級家族から政策の効果検証を行っていく必要があるというような議論であったと思うが、このあたりも専門外で、私からコメントできる立場にはない。

 以上のレスポンスのあと、休憩を挟んで、再び、各コメンテーターからの発言があった。

 まず、立岩氏は、介護保険の半分が税である点は承知している、中産階級云々が自明であるかどうかについては検討が必要であると述べた上で、ケア労働の値段がなぜ安いかについては、女の仕事だからという理由以外に、労働の価値はどう決まるかという複合的ファクターがあると論じられた。すなわち、いっぽうでタダでやっており併存した労働であること、さらには、業界の力もかかわっており、公定価格として決まってくるというようなお話であった。但し、これらご発言に対しては、上野氏から、介護保険は現在財源問題ばかりに議論が集中しているが別の面についての検証が必要であること、ケア労働の値段が需給で決まるというのは楽天的すぎており、介護サービスには歴史的にみて、市場メカニズムは働かないというような反論があった。


 次回に続く。