じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



01月のインデックスへ戻る
最新版へ戻る
§§
オススメのパソコン関連グッズ(4)ノートパソコン用キーボードマルチカバー

 連載4回目は、

ゴムバンド取付型のキーボードマルチカバー

 デスクトップ用のキーボードは安価で交換できるのでカバー無しで使っているが、ノートパソコンのほうはそう簡単には取り替えできないし、うっかり水をこぼすと大変なことになる。従来は「はりつけタイプ、シリコン素材」を使っていたが、厚手で使いずらかったり、うまく固定できないといった問題があった。このゴム止めタイプは、薄くて、固定しやすく、比較的安価なので便利。なお、ゴム止めの場所がずれると、USBポートやDVDドライブにひっかかるので注意が必要。サイズはいろいろあるが、私のところにあるノートPCは、ワイド型もモバイル型もいずれかの型番でピッタリ合った。

1月19日(木)

【思ったこと】
_c0119(木)上野千鶴子特別招聘教授着任記念学術講演・シンポジウム(11)誰がケアを担うのか?

 昨日の日記の続き。

 講演では続いて「誰がケアを担うのか?」に関して、まず、
  • 家族介護の神話
  • 福祉国家の限界
  • 市場の失敗(としての福祉)→「家族・市場・国家」=近代トリオの限界
が挙げられた。

 このうち家族介護に関しては御著書『ケアの社会学』の中で、家族介護には何の法的根拠も無いこと、また家族介護とは慣習もしくは習俗なのか、「伝統」なのか、といった問題が詳細に論じられているようであるが、今回の連載では、そのこことまで立ち入ってコメントできるほど読みこなせてはいない。但し、私自身は、ケアが受け手と与え手の一対一の関係を重視するというのであれば、可能な限り、その関係は家族の中に求め、それを地域や行政が補完するほうが良いという考えを捨ててはいない。そういう考えから言えば、家族介護が現実的に困難になった場合や、単身生活のままで老後を迎えた方に限って別の仕組みを考えたほうがよいという気もするのだが、上野氏は、家族介護についての固定観念や現実が著しく矛盾に満ちたものであると指摘しておられるようである。

 ちなみに、講演やその後のディスカッションでも何度か言及されたが、介護保険という制度は、ケアを必要とする受け手側の要望で実現したものではない。家族介護が理想であると思いつつも、仕事上の事情や、家族介護そのものの過労のために現実にはそれが困難であるような中産階級からの要望のもとで実現したということであった。(このほか、医療と介護の切り離しという意図もあったようだ。)

 それから、「福祉国家」という概念はもはや使われず、これに代えて「福祉社会」、それも「福祉多元社会」という考え方になっているという。その中でもケアの「脱家族化」、「脱商品化」を考えておられるようであったが、次回に続く。