じぶん更新日記

1997年5月6日開設
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来年を占う?巨大てんびん

 山陽道・下松サービスエリアにある、てんびん座のモニュメント。時節柄、来年を占っているようにも見える。なお、同じ場所にあった、さそり座のモニュメントの写真が楽天版にあり。


12月29日(木)

【思ったこと】
_b1229(木)日本質的心理学会第8回大会(34)実践としての身体(7)サトウタツヤ氏による指定討論(2)人文科学としての心理学の可能性

 サトウタツヤ氏の指定討論後半では、各話題提供の論点の要約とコメントが行われた。但し、なぜか1番目の河野氏の話題提供へのコメントは含まれていなかったようであった。

 まず、重村氏の話題提供については

●静止した身体は実践者たりえない。身体は場と時間を占有しているが、それだけでは、人格(PERSON)たり得ない。

として、時空の蓄積としての身体の重要性を強調された。そして、質的研究の役割は、固有の身体と時空をもった人格の研究にあるというようなことを指摘された。

 サトウタツヤ氏はここで、持論である「人称」の概念を持ち込まれた。すなわち、一人称的本人や、二人称的関係者にとっては軽視を許さないゆるぎない実践としての身体であるが、関係の薄い三人称的他者にとっては、静止した身体はモノ化されてしまう。そこから、活動や行為が身体を構築しているという上淵氏の論点が生まれてくる。

 指定討論の最後の部分で、サトウ氏は、心理学がなぜ人文(科)学として再構築されるのかについて論じられた。スライド画面から引用すると以下のようになるが、時間が足りなかったこともあり、イマイチ説明不足であるような印象を受けた。

  • 身体をもつビビッドな個人から心理学を構築することが【で】、身体を重視する他の諸学範(ディシプリン)との学融(トランスディシプリナリ)が可能になる。
  • 身体性から固有の時空を記述することを目指すのが質的研究である。
  • 身体から表出させたVoice、Narrativeを、制止せず静止させず描くことが重要であろう。
  • これが人文(科)学的心理学となる。
  • 抽象的な主体性ではなく身体をもった主体性の学を。
  • 身体と固有名に着目することにより、Subjectの学範としての心理学が再構築される。
  • こうした態度は必然的に活動や語りを媒介にすることになり、人文科学としての心理学の可能性が広がる
 というような内容であったが、私自身の勉強不足と、シンポそのものの時間的制約により、論点がイマイチ分からない部分もあった。制止せず静止させず描くためには、身体を制約する実験的方法は導入できないという点は分かるが、実験的介入をせず、予測と観測だけで理論を構築するような自然科学的心理学もあるし、動物行動のように「語り」が不可能な対象もある。なお、上掲の「活動や語りを媒介にする」というくだりで、「行動」ではなく「活動」という言葉を使った点には、私も同意できる。行動と活動の違いについては種々説明がなされているが、最近、私は、行動を含む、より包括的で持続性のある概念として「活動」を含めたほうがよいのではという考えで固まりつつある。

 以上をもって、このシンポ、そして、今回の質的心理学会のメモと感想の連載を終了とさせていただく。私にとっては質的心理学会は門外漢であるが、その分、いろいろとインスパイアされる機会も大きい。次回は、2012年9月1日(土)から2日(日)に東京都市大学・環境情報学部で開催されるとのことであり、日程に調整がつけばまた参加させていただきたいと思っている。

※今回の連載の全体は、こちらから閲覧できます。