じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 枯葉で作る私の人生のカタチ。↓の記事参照。

11月15日(火)

【思ったこと】
_b1115(火)枯葉で作る私の人生のカタチ

 「人生のカタチ」、「幸せのカタチ」というような「カタチ」を含む言葉をよく耳にする。念のため、Googleで検索してみたところ、
  • カタチ:127万件
  • "人生のカタチ":501万件
  • "夢のカタチ":908万件
  • "幸せのカタチ":56万8千件
など、多数がヒットすることが分かった。

 もっとも、この場合の「カタチ」というのは、必ずしも図式化、可視化を目ざすものではないようだ。

 これに対して、上の写真にあるのは、数日前、夕食後の散歩時に枯葉で即席でこしらえた、私自身の人生のカタチである。なお枯葉を材料としたことには特段の象徴的な意味は無い。単に季節的に枯葉が多かったというだけで、桜の花びらでも、青葉でも何でもかまわない。

 この「カタチ」は、左から右方向が年齢軸となっている。縦軸は、大ざっぱな発達を示す。一枚一枚の葉っぱは、継続的に行う活動であり、いずれも、両端が細く、真ん中が幅が広くなっている。これは、それぞれの継続的な活動が、開始時期→熱中期→終了期というように経過する際の活発さの度合いを示すものである。個々の活動(葉っぱの1枚1枚)は緩やかに連携しているが、絶対的に一貫性を保つわけではない。

 緑色の縦線は、現在位置(59歳)を示しており、その右側に配置されている、色の鮮やかな葉っぱは、定年後に何か別の活動にもチャレンジしてみるということを示している。もっとも、私には何か新しい趣味やスポーツを始めようとするほどのエネルギーは残っていない。たぶん、これまで時間がなくて触れることのできなかった、哲学、文学、芸術、数学などの世界に少しだけ首をつっこんでみようかという程度のことである。

 もう1つ、「臨終過程」は葉っぱではなくて、タンポポの綿帽子と茎で表現してある。ここでいう「臨終過程」というのは、回復へのターニングポイントが見込めない状態で、緩和ケア病棟などで最期の時を過ごす過程である。これはそれまでの人生とはかなり異質であって、できれば短期間で終わりたいというのが本音でもある。そのようになってしまった時は、これまでとは全く違う生きざまになるが、その時はその時でまな板の上の鯉のような気分で、できることだけやればよい。その場が窮屈で不自由になったとしても、必ずしも「終わり悪ければすべて悪し」にはならないということだ。また、終わり方がどうあれ、それ以前の葉っぱの1枚1枚の価値が損なわれるものではないし高められるものでもない。

 あと、私は子どもの頃より一貫して無神論であり、死後の世界などは全く想定していない。最期のタンポポの綿毛は、どこかに飛んで行けば新たな芽を出すかもしれないが、それはあくまで風任せである。1粒も発芽しなかったからといって、何ひとつ後悔するわけではない。