じぶん更新日記

1997年5月6日開設
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 長野県・南箕輪村にある信州大学農学部は、背後(北西側)に中央アルプス、正面・伊那谷の向こうには南アルプスというように、3000メートル近い山々に囲まれた風光明媚なキャンパスであった。岡大の津島キャンパスも、大学構内各所から半田山をのぞむことができるが、標高は中央アルプスの1/10にすぎない。

10月30日(日)

【思ったこと】
_b1030(日)日本園芸療法学会2011年長野大会(3)園芸療法と人間・植物関係学、効果検証の問題

 今回の大会には、少なく見積もっても100人以上の実出席者があった模様であり、2日目午前中は、口頭発表とポスター発表が併行して行われるほどの賑わいであった。もっとも、フィトセラピーに関する基調講演を含めて、狭義の「園芸」を超える様々な活動の療法的活用について発表が行われていたように感じた。

 人間・植物関係学会を創設した松尾英輔先生も定義されているように、狭義の園芸は、「植物を育てる」ことを必要条件としている。但し、生活の糧を得るために農作業をすることは園芸とは言わない。また、園芸療法というのは、園芸の療法的活用をめざすことを意味すると私は理解している。

 であるからして、「園芸療法が効果があるかどうか」という議論はあまり意味が無い。正しくは、「園芸作業は、この場面において、療法的活用に成功したかどうか」という形で問題を設定するべきである。学会発表では、「園芸療法を実施し」という言葉がたびたび使われていたようであるが、これも正しくは、「療法的活用を目的として、園芸作業プログラムを実施した」とするべきであろう。

 「療法的活用」の範囲にもいろいろあるが、長期的にせよ短期的にせよ、また、特定の具体的効果であれ、全人的な効果であれ、効果を論じる以上は何らかの検証手段が必要である。但しそれは、必ずしも生理学的なエビデンスに基づく必要はない。参加者が園芸行動に積極的に参加しているという観察記録、あるいは参加者自身の主観的幸福観が、実施者の願望思考や期待と独立して測定できるのであればそれもまたエビデンスになる。心理学が園芸療法に関わるとすればこうした効果検証の部分であろう。

 「療法的活用」の技法については当初から定まったものは無いし、参加者個人個人の状況によっても多種多様でなければならない。それをふまえた上で、「こういうふうに実施すると効果があった」という実践報告を蓄積して交流をはかることも大切であろう。

 料理や踊りにもそれぞれの流儀や技法がある。これらは個別には効果検証を求められない。但し、料理の場合は、食べる人が美味しいと評価してもらわなければ廃れてしまう。踊りの場合も、個々の仕草に何かの効果がある訳ではないが、参加者やそれを観る人から評価が得られなければ結局は長続きしない。園芸療法の場合、具体的な療法的効果をうたう場合には当然、科学的な効果検証が求められる。その一方、みんなで楽しく活動すること自体に意義を見いだす場合(←もちろん、そういう活動に参加することは、長期的にみれば健康増進や生きがいをもたらす効果があるが)は、園芸福祉と呼ばれる実践活動に近くなる。

 次回に続く。