じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 岡大農学部農場の田んぼで見られた夕焼け。まもなく稲刈りが行われるものと思われる。

 なお、この写真は、写真の上半分のみを範囲指定して、夕焼けの美しさが出るように露光補正を行っている。合成写真ではない。

10月17日(月)

【思ったこと】
_b1017(月)人間・植物関係学会2011年臨時大会(7)育てる庭と猟る庭

 10月16日の日記の続き。

 午後の発表のうち2件目は、住宅地の特定エリアを2回にわたり巡回し、庭つきの家を「覗き」にならない程度に観察し、
  • 育てる庭
  • 猟る庭
  • 混在した庭
に分類し、経過観察を行うというような趣旨であった。ここでいう「育てる庭」とは文字通り、その家の住人が手間暇かけて庭の植物や鉢物の手入れをしている庭のことであり、いっぽう「猟る庭」というのは、ここでは、松尾(2005)の定義に基づき、もっぱら造園業者さんの手を借りて整備し、もっぱら眺めることに終始するような庭のことを言うらしい。もっとも、実際の剪定作業が、業者さんの手によるのか、住人御自身の手によるのかは把握できず、あくまで推測の域を出ないところがある。また、鉢物が並べてる場合は、住人が自ら管理している可能性が高いので「育てる庭」となる。

 ひとくちに庭付きの個人邸宅といっても、住人と植物との関わりは多様であり、この多様性は高齢者施設における園芸療法にも反映されなければならないということが、詳細な事例紹介を通じてよく理解できた。

 なお、この発表については、フロアからの質問・指摘がいくつかあった。

 1つめは、個人が敷地内の庭で楽しむことが、自治体の「市民参加型緑化事業」とどう関連しているのかという点である。確かに、塀の中の庭でいくら丹精込めて花を育てても市民参加型の緑化にはなるまい。もっとも、第三者から見えない庭の整備、あるいは室内での鉢物栽培であっても、そういうことに関心を持つ人が増えれば、結果的には公共地での緑化事業にも併せて関心を持ち、協力を申し出る人が増えてくるのではないかと思われる。「自宅で園芸」というと一見個人主義的なように見えてしまうが、本当に植物が好きな人は、自宅の庭であれ道ばたであれ公園であれ、どれもみなすくすくと育つことを願い大切にするはずだ。

 もう1つは、データ収集活動がプライバシー侵害になるのではないかというような指摘であった。このあたりの線引きは難しいと思うが、公道に面しておかれている鉢花の写真をとったり、垣根越しに庭を眺める程度であれば問題は無かろうと思う。但し、垣根越しに写真を撮るのはマズイ。また、塀の隙間越しに敷地内を覗くようなことをすれば、目的が何であれ99%犯罪になると思う。

 このほか、一見、自然のままの野草を楽しみたいと思って、わざわざ雑草や野草を放置している庭も無いとは言えない。最近視た、

こころの時代〜宗教・人生〜「“自然(じねん)”を撮る」

に登場した、写真家・井上隆雄さんの庭などは、自然のままの庭であった。(←とはいえ、今の日本では、空き地をそのままにしておくと、特定外来植物系の雑草で覆い尽くされてしまって、自然にふれるような庭には到底ならないが。)


次回に続く。