じぶん更新日記

1997年5月6日開設
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§§ 2011年版・岡山大学構内でお花見(7)時計台前の紅白の梅

 数年前に事務方のボランティアが苗木を植えられたと記憶している。年々成長し、いっぱい花をつけるようになった。

2月27日(日)

【思ったこと】
_b0227(日)確率の大きさは、視点と獲得している情報によって変わる(2)モンティ・ホール問題

 昨日の日記の最後のところで予告した「モンティ・ホール問題」は、ウィキペディアの当該項目でも詳しく解説されている。そもそも「モンティ・ホール」というのは、アメリカのゲームショー番組、「Let's make a deal」の司会者モンティ・ホール (Monty Hall、本名 Monte Halperin) に由来するらしい。「モンティ・ホール問題」は1992年、3囚人問題を紹介したマーティン・ガードナーによる解説で収束を見たということだが、これに関連する諸問題は今でも話題となっており、数日後に開催される第 7 回 統計教育の方法論ワークショップの中でも、

●統計学者が講義する条件付き確率 ーモンティ・ホール問題など

といった話題提供が予定されているようだ。

 さて、ここでは、元の新車とヤギの事例ではなく、

●島宗理『人は、なぜ約束の時間に遅れるのか 素朴な疑問から考える「行動の原因」』 (光文社新書)

の168頁に紹介されていた箱問題の事例で考えてみることにする。島宗氏の紹介している事例の概略は以下の通りである。
  1. テレビのゲームショー。3つの箱のうちの1つにダイヤモンドの指輪が隠されている。残り2つはハズレである。
  2. 回答者は、3つの箱のうちから1つを選ぶ。但しまだ開けていない。
  3. 司会者は、回答者が選ばなかった2つの箱の内の1つを開ける。中は空であった。
  4. 司会者は回答者に、もう一度箱を選ぶチャンスがあることを告げる。すなわち、もともと選んだ箱を開けてもよいし、司会者のもとにあった箱のうちまだ開けていないほうの箱に変更してもよい。
問題は、4.のところで、もともと選んだ箱をそのまま選び続ける場合(「保持戦略」)と、司会者がまだ開けなかった箱のほうに変更する場合(「変更戦略」)のどちらが有利かということである。多くの人は、どちらの戦略も同じ確率(どちらも1/2)と答えるというが、数学的には「変更戦略」のほうが当たる確率は高いという。

 ネットで検索すると、この問題についての分かりやすい解説を考案したサイトが山ほど見つかるが目を通す時間的余裕が無い。現時点で私自身が考えた説明は以下の通りである。

 まず、何はともあれ上記2.の段階では、回答者が当たる確率は1/3である。問題は次の3.である。司会者が回答者が選ばなかった2つの箱の内の1つを開けた場合に想定される結果は、箱の中にダイヤが見つかった場合(確率1/3)と、空であった場合(確率2/3)の2通りである。3.以降は、「空であった」という場合についてのみの考察であるから状況が変わっている。3.の段階でダイヤが見つかってしまえば回答者が当たる確率はゼロとなるからである。

 よって、上記のゲームでは、司会者がダイヤの入った箱を選んだ場合は除かれており、それ以外のケースについての確率を比較する問題に移行する。

 ここで3つの箱を順番に、A、B、Cとして、回答者は箱Aを選んだものとする。この場合、Aが当たる確率は1/3、BとCのいずれかが当たる確率は2/3である。次に司会者はBとCのいずれかを選ぶ。但しここでは、司会者がハズレを選んだ場合についてのみ考える。回答者には、BまたはCのうち、ハズレ1箱を除いたもう1箱を選ぶ権利を与えられるのでその分、当たりの確率が2倍になる。要するに、Aはあくまで3個のうちの1個だが、「変更戦略」をとるというのは、BまたはCの2個のうち、ハズレを除いた1個を選ぶということになるのだからその分当たりやすくなるはずだ。

 ちなみに、上記で、司会者が回答者の次に選んだ箱が開けられなかった場合は、「ハズレ1箱を除く」という特典が与えられなくなるので、「保持戦略」と「変更戦略」それぞれの当たる確率は等しくなる。




 上掲の島宗氏の本では、もう少し違った事例で説明が試みられている(170頁〜)。
  1. テレビのゲームショー。3つのコップにコーラのような不透明の黒い液体が入っている。3つのコップのうちの1つにはダイヤモンドの指輪が隠されている。残り2つはハズレである。
  2. 回答者は、3つのコップのうちから1つを選ぶ。但しまだ中身は確認できない。
  3. 司会者は、回答者が選ばなかった2つのコップの液体をすべてバケツに移す。(音などでダイヤが混じっているかを察知することはできない。)
  4. 司会者は、空いたコップに、バケツからコップ1杯分の液体を戻す。すると、そのコップにはダイヤは入っていなかった。
  5. 司会者は、バケツの残りの液体をもう1つのコップに注ぐ。(音などでダイヤが混じっているかを察知することはできない。)
  6. 司会者は回答者に、もう一度コップを選ぶチャンスがあることを告げる。すなわち、もともと選んだコップの中身を調べてもよいし、司会者がバケツから最後に注いだコップに変更してもよい。
 このように問題を書き換えれば、変更戦略のほうが有利であることが分かりやすくなるというのが島宗氏のご説明であった。この「新しい事例」は確かに上記の「箱問題」と数学的には同じ状況になっている。「新しい事例」の4.のところでは、バケツの中の液体をコップ1杯分だけ、ヒシャクですくう(ダイヤがあったとしてもバケツの底に沈んでいるので、ヒシャクには入らない)という設定にしてもかまわない。これが元の問題の「ハズレ1箱を除く」という特典を与えたことと同じ意味になる。でもって、回答者に、最初に選んだコップと、コップ1杯分の液体の残ったバケツのどちらを選ぶかと問えば、回答者はバケツのほうが当たりやすいと判断するに違いない。




 なお、念のためお断りしておくが、「確率の大きさは、視点と獲得している情報によって変わる」というのはあくまで条件付確率の議論の範疇であって、心理学で言う主観確率とは異なると私は考えている。主観確率は、人間が見積もる確率の大きさと数学的に計算される確率の大きさの乖離について検討する場合に用いるべきであると思う。「モンティ・ホール問題」において、「保持戦略」と「変更戦略」の確率が五分五分であると見積もるのは主観確率である。しかし、視点の違いによって確率の大きさが変わるというのは、決して主観ではない。その視点で与えられている前提やルールや獲得している情報が、条件付き確率の大きさを変えていると言っているに過ぎないのである。