じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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§§ NHK土曜ドラマ「TAROの塔」が始まった。これまで土曜ドラマというのは一度も視たことが無かったが、今回、岡本太郎が取り上げられるということでとりあえず録画した(まだ視ていない)。

 「TAROの塔」は言うまでもなく太陽の塔のことである。私自身は、万博には全く関心が無かったが、昨年9月、宿泊先のホテルの夕食メニューが高価であったため、その節約のため、万博公園内に親子丼を食べに行った時に初めて対面した。写真左は、ホテルの窓から撮影した朝日を浴びる太陽の塔。写真右は、親子丼を食べる前に後ろから撮ったところ。

2月26日(土)

【思ったこと】
_b0226(土)確率の大きさは、視点と獲得している情報によって変わる(1)

 2月25日から26日にかけて、国公立大学の個別学力試験前期日程が行われた。各大学で出題される問題の中で私が一番興味があるのは数学である。もちろん私自身が試験を受けても3割もとれないとは思うが、高校時代の一時期に数学者を目ざしていたこともあって、問題を見るのは楽しい。

 各大学の問題は、予備校サイトなどで解答例つきで公開されているが、そんな中で、受験生たちの頭を悩ませそうなのが確率の問題である。

 ところで確率というのは、ウィキペディアの当該項目で
確率(かくりつ、probability)とは、ある現象が起こる度合い、ある試行が行われたあとある事象が現れる割合のことをいう。偶然性を含まないひとつに定まった数値であり、発生の度合いを示す指標として使われる。
と定義されているように、正解が1通りに定まるものと信じられているようである。じっさい、前提条件がしっかりと整っていれば、そのもとで計算される確率は一通りに定まる。(数学の問題として、正解、不正解という採点可能な問題となる。)

 しかし、現実世界では、現象そのものが本質的に確率的な現象なのか必然的に起こる(起こらない)現象なのかということは必ずしも重要ではない。例えば、来年の5月21日朝には日本列島の一部で金環食が見られるが、現時点では、どこで晴れるかという予測はできない。なので、できるだけ晴れやすい場所で観測しようと思っている人は、現時点では平年の降水確率、あるいは雲量の確率予想に基づいて計画を立てるほかはない。いっぽう来年の5月20日夜には、翌日朝にどこが晴れるかということはかなりの精度で予報される。5月21日に休みをとれる人は、前日の天気予報を見てから一番晴れやすい場所に移動することができるのである。要するに、気象現象そのものは無限に近い諸要因(長期的には、太陽活動や火山噴火などの突発事象も含む)の相互作用による決定論的なプロセスで変化していくものであるが、人間はそれらすべての情報を事前に入手することができない。降水確率の大きさが直前になるに従って変化していくのは、人間側の予測精度が変化していくのであって、気象現象そのものの気まぐれでは決して無い。

 確率の大きさが入手した情報の違いによって変わる一番シンプルな例として、壺の中に白い玉2個と赤い玉(=当たり)1個を入れておき、A、B、Cの3人が順番に1個ずつそれを取り出すというゲームを挙げることができる。その場合、当たりとなる赤い玉を獲得できる確率は、A、B、Cの3人いずれも1/3であり、誰がどういう順番で取り出しても大きさは変わらない。

 しかし、いま述べた確率は、ゲーム開始前の時点での確率である。一番手のAが白い玉を取り出した時点では、Bが赤い玉を取り出す確率は1/2にアップする。さらに、もしBも白い玉を取り出したとすると、その時点でCが赤い玉を取り出す確率は1.0となる。Cは絶対的な自信を持って赤い玉が出てくると予想することができる次第だ。但し、もし、AやBが取り出した玉が袋に入っていて色が見えなかったとすれば、他者が何を取り出したのかという情報が得られないので、Cが赤い玉を取り出す確率は相変わらず1/3のままである。AとBが玉を取り出した後、壺の中の玉の色が勝手に変わることはない。赤い玉が出る確率が変わるのは、玉自体の色の変化ではなく、情報を入手しているかどうかという人間側の前提条件に依存している。

 上記に関連してさらに興味深いのがモンティ・ホール問題である。最近刊行された、

●島宗理『人は、なぜ約束の時間に遅れるのか 素朴な疑問から考える「行動の原因」』 (光文社新書)

の168頁で、これを簡略化したクイズが取り上げられていたので、次回、そのことを考えてみたいと思う。

次回に続く。