じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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岡山県岡山では、2月8日から9日にかけて11.5ミリの雨が降った。降水量が記録されたのは1月1日の0.5ミリ以来。これによって、岡山大構内の北西端にある文法経グラウンドに、久しぶりに「岡大湖」が出現した。

2月9日(水)

【思ったこと】
_b0209(水)行動主義の再構成(11)行動主体の視点はどうやって観察できるのか(1)弁別行動の適応意義と再帰的定義

 これまで、スパイラル型随伴性()の効果検証や量的分析の可能性について述べてきた。
これまで主として「随伴性スパイラル」という言葉を使ってきたが、従来の随伴性と対比させる意味で、暫定的に「スパイラル型随伴性」という呼称を使いたいと思う。また、従来の随伴性は「単線型」と呼ぶことにする。

 さて、1月26日の日記
第一は、視点を明確にする必要があるという点だ。周囲の風景は、散歩という行動なしには出現しないので、散歩のほうが独立事象、風景はそれに依存した事象であると言える。但し、それはあくまで個体側、つまり散歩をする人の視点に立った依存関係である。その人が散歩しようがするまいが、風景自体が影響を受けることはない。
と論じたように、(スパイラル型であれ単線型であれ)随伴性は、行動主体の視点に立って記述されなければならない。しかしこれは、主観世界を入れということでは決してない。行動主体の視点に立っても、環境変化は主観と切り離して記述することができる。

 もっとも、この種の議論をする時には常に暗黙の前提がつきまとう。哲学の根本に立ち入る議論をすればキリが無いが、何を公理とするのかということはいちおう考えておく必要があるだろう。

 さて、まずは、宇宙やその中の地球が人類と無関係に存在しているということは前提にしてよいと思う。その上で、地球(もしかすれば地球以外の天体にも)の上に生物が存在することを前提とする。ウィキペディアの当該項目にもあるように、生物と無生物を完全に区分することは困難であるが、とりあえず、宇宙のどこかでさまざまな化学変化が起こり、その中で「自己増殖能力、エネルギー変換能力、恒常性(ホメオスタシス)維持能力、自己と外界との明確な隔離という特徴」という機能を獲得した分子がたまたま生成され、さらにその分子体が、同じ特徴をコピーしながら繁殖する機能を持てば、結果的に、その天体上で長期間にわたり存在し続けるようになる。

 そういう中で、さらに、存在の可能性が高めるのが「適応」である。適応には、形を変えることによる適応と、行動することによる適応がある。植物はもっぱら前者で適応するが、動物は、形を変えることに加えて、体勢を変えたり移動することによっても適応ができる。現在地球上に存在している動物は、適応がうまくできた動物、もしくは運良く(=偶然的確率で)生き残った子孫たちである。

 では動物はどうやって環境に適応できるのか。これは、その成育環境がランダムに変化するのか、規則的に変化するのかによっても変わってくる。もし、地球環境が一寸先にどうなるのかが全く分からないようにランダムに変化しているとしたら、動物は頑強な身体と恒常性を維持する仕組みを進化させて適応することになるだろう。嵐の中でも沈没しない船のように、一定範囲の環境変動に持ちこたえる身体と仕組みを備えていれば、その動物は生き残ることができる。

 もっとも、幸いなことに、地球環境の変化はそれほど気まぐれではない。この場合、あらゆる変化に画一的に対処するよりは、変化の特徴を読み取り、異なる行動をしたほうが適応可能性は高まってくる。要するに、環境側の何らかの特徴を手がかりにして、それに見合った行動をするということである。これが弁別行動である。前置きが長く、なんだか新興宗教の宣伝パンフのような内容になってしまったが、私が強調したいのは、弁別行動ができるという一点に尽きる。

 ところで、いま述べてきた文章の中にも「変化」、「特徴」、「異なる」、「手がかり」といった暗黙の前提が入っている。これらをもとに「弁別行動」を定義することはトートロジーのようにも見えるが、私自身は、これは再帰的な定義として十分に成り立つと考えている。但し、環境世界そのものにはこれといった境界はなく、不定型で、相互に影響しあっている(←相互という言葉を使うこと自体、何かを定めなければ意味がないが)。そういう中から、何を同じものとしてカテゴリー分けし、何を違いと見なすのかは、適応のニーズに依存して多種多様となる。また、コミュニティで暮らす人間の場合は、それらが社会的に構成されるウェイトがきわめて高い。

 不定期で、次回に続く。