じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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ダナキル砂漠を思い出す月齢23.5の月。写真上は、エルタ・アレ火山を前景にした月。写真下は1月28日朝の月。下の写真では月が明るすぎてぼやけているので、月の中心の露出を補正した画像を水色の円内に示す。

 月日の経つのはまことに速いもので、エチオピア・ダナキル砂漠の旅行からまもなく1ヶ月が過ぎようとしている。1月28日朝の月齢はおおむね23.5であるが、先月の12月29日もほぼ同じ月齢であり、明け方に金星と一緒に光っていた。12月29日はちょうどエルタ・アレ火山に登っていた時であり、まだ月が明るかったので、ヘッドランプ無しでも道が見えていたことを思い出した。但し、日本と違って、南南東の方向には南十字が上ってきたところであった。

1月27日(木)

【思ったこと】
_b0127(木)行動主義の再構成(5)相互依存における行為主体

 昨日の日記では、スパイラル的な相互依存について述べた。しかし、相互依存というのはあくまで、行為主体と、行為主体が関わっている対象(外部環境、相手など)との関係を、行為主体の視点から捉えた時の関係に過ぎない。AとBの間の「相互強化」という場合、AがBを強化する入れ子構造のレベルと、BがAを強化する入れ子構造のレベルは必ずしも同一ではない。

 このことを示す良い例は、ネット上でもしばしば紹介されているスキナー箱のジョークの事例に示されている。そこでは、スキナー箱に入れられた2匹のネズミが次のような会話をしていた。
「おい、この男を条件づけてやったぞ! 僕がこのバーを押すたびにあいつは餌をひとかけおとしてよこすんだ。」
 このジョークについては、こちらの論文でも言及したところであり、その一部を再掲すると、
...このマンガは、「実験者がネズミを条件づけているように見えるが、じつはネズミが実験者を条件づけているのだ」というジョークとして他の本にもいろいろ紹介されている。もちろん、バーの押し方と餌の与え方の関係をいろいろに変化させる権限は実験者の側にあるのだから、実験者と被験体との関係が逆転することはあり得ない。しかし、ここで重要なのは、ネズミがバーを押すことは、やはり実験者の研究行動を強化しているという点にある。そもそもどのネズミも一度もバーを押さなかったら、実験者はネズミを被験体とした実験など続けないはずである。自分の努力に応えてくれるような結果がそこそこ得られるからこそ研究を続けるのである。
 また、こちらその後の後編でも、
このマンガはおそらくジョークとして出されたものであろうが真実をついている。たしかに実験者は、

ネズミがレバーをおすたびに餌を出してレバー押し行動を強化する

という操作を主体的におこなっている点で研究遂行の主人公であることはまちがいない。しかし、そういう「研究行動」が遂行されるのは、ネズミがある頻度以上でレバーを押し、実験データを提供しているからにほかならない。もしあらゆる手だてを尽くしてもネズミがレバーを押さなかった時には、その研究者は被験体を別の動物に取り替えるであろう。以上は本稿が扱う質的研究とは直接関係ないが、研究という行動は、研究対象が有益なデータを与えてくれるということによって強化されている点を忘れてはならない。
というようにコメントした。

 今回の連載の流れの中で改めて考えを述べると、まず、スキナー箱の中のネズミを行為主体に設定した場合、「ネズミがレバーを押す」という独立事象に依存して「餌が出る」という環境事象の変化が生じる。ネズミの行動は、これによって強化される。但しこの場合、餌が自然に出現しようが、実験者が指でつまんで餌を与えようが、そのこと自体には何ら本質的な違いは無い。

 いっぽう、実験者側を行為主体とした場合、「ネズミを被験動物としてオペラント条件づけの研究をする」という行動は、「スキナー箱内でネズミがちゃんと条件づけされる」という現象によって強化されていく。上掲でも述べているように、もしネズミが反抗的で、スキナー箱内で暴れまくって一度もレバーを押さなかったとしたら、「ネズミを被験動物としてオペラント条件づけの研究をする」という行動は強化されない(無強化あるいは消去)。

 ここで強調しておきたいな点は、ネズミを行為主体とした場合の強化は「レバーを押す→餌が出る」という、「ミクロ」のレベルの随伴性になっているのに対して、「ネズミを被験動物としてオペラント条件づけの研究をする」という強化はもう少しマクロのレベルの入れ子構造になっているという点である。

 強化自体は双方向的ではあるが、レベルが全然違うという点に留意しなければならない。


不定期で次回に続く。