じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 1月8日の岡山県岡山は、この冬一番の寒さとなり、最低気温マイナス1.5℃を記録した。気象庁統計によれば、最低気温が氷点下となったのは、1月1日にマイナス0.3℃を記録して以来、この冬2度目。但し、よく晴れたこともあって日中の気温はぐんぐん上がり、最高気温9.4℃の暖かさとなった。

 写真は、霜をかぶったプリムラとホトケノザ。

1月8日(土)

【思ったこと】
_b0108(土)世界ふしぎ発見!「ダナキル砂漠」のウソホント

 エチオピア・ダナキル砂漠で年末年始を過ごし、ようやく日本の寒さに体が馴れてきたところである。1月8日の21時から、TBS系の世界ふしぎ発見!で、

アフリカ ダナキル砂漠 大地の底で地球創世の姿を見た!

という放送があり、一週間前に旅行したばかりということもあって記憶が鮮明によみがえり、懐かしいというよりも、まだ旅行が続いているような感じで映像を拝見した。もっとも、放送で伝えられた内容には多少の誇張もあったように見えた。備忘録代わりに気づいたことをメモしておく。なお、エルタ・アレ火山は11月下旬以降大きく変わっていたが、番組ではそれ以前の形をしていたことから、当該放送の取材は昨年11月より前に行われたものと推察された。
  • 地図上の空白地帯?
    番組の最初のほうで、「地図上の空白地帯」を探検するといった少々大げさな表現があったが、これは単に、エチオピア政府が精密な測量をしていない地域であるという程度の意味に過ぎない。じっさいのところは、アハメド・エラの村までは、未舗装ながら大型トラックでも通れるような道路が通じている。その先にもいくつかの集落が点々としていて、砂漠の中にタイヤの痕が残っていた。但し、砂漠地帯では砂あらしが発生しており、所々で、視界が殆どゼロになったこともあった。車に同乗した現地の道先案内も、時々道を間違えていたように思えた。

  • 野天泊の心地よさ
    アハメド・エラではテント泊、エルタ・アレ火山のベースキャンプと山頂では野天泊となったが、暑くて寝られないということはなかった。少なくとも12月末に限っては、夜の気温は25℃〜30℃前後であり、空気が乾燥していることもあって、半袖Tシャツ程度で心地よく眠れた。気温がそれ以下にならないため、シュラフから体を出していても寝冷えすることが無かった。エルタ・アレ山頂の野天泊の時は、明け方の気温が20℃程度まで下がり、ゴアテックス着用、夏用シュラフにシュラフカバーをつけて寒さを凌いだほどであった。

  • アサアレ湖の塩の採掘
     1月4日の日記で関連する話題を取り上げたことがあった。番組では、アファレ人がラクダのキャラバンを率いているような印象を与えていたが、現地では、ラクダやロバによる運搬と岩塩の切り出しは、アファレ人ではなくてティグレ人の手で行われていると聞いた。アファレ人は、切り出された岩塩を成型する作業のみを担っているらしい。こういう分業体制が確立していることが、部族間が連携し、争いを避ける仕掛けになっているようであった。

  • ダロール火山の絶景
     楽天版(1/8付け)に掲載した写真のうち、私が「貝柱」と呼んだ奇岩Aは、「ソルトマッシュルーム」というのが一般的な呼称であったようだ。また、同じく、「茶碗蒸し」と呼んだ奇岩Dは、奇岩Aができる前の岩であるという。

  • ガスマスクは必要?
     ダロール火山で、硫化水素発生のためガスマスクを着用して探索しているシーンがあった。確かに硫化水素は発生していたが(番組では64.5ppm)、この程度の濃度であれば「気道刺激、結膜炎」の影響はあるが、短時間の探索であれば亜急性中毒が起こるほどではない。
     現実問題として、ガイドの指示に従って安全な場所だけを散策する限りにおいては、ツアー客が事故に巻き込まれる恐れは少ないと思う。但し、単独で勝手に移動したり、トイレのために窪地に入ったりすれば、中毒、あるいは酸欠状態になることは十分に考えられる。

     あと、現地では、窪地よりも高台のほうがガスの発生が多いように思えた。高台は、噴気孔のチムニーから形作られているところが多いためである。

  • 「黄金の湖」と「エメラルドグリーンの泉」の原因
     楽天版に、「黄金の湖」と、「エメラルドグリーンの泉」の写真を掲載したところであるが、これらの色は、シアノバクテリア(藍色細菌)と硫黄細菌の働きによるものだとか。

  • エルタ・アレ火山
     番組では気温43℃の炎天下に登山していたが、実際のツアーでは、日中の暑さを避け、朝3時〜3時半頃出発の夜間登山、夜間下山となるのできわめて快適であった。標高差がそれほどないことにくわえて、チベットやボリビアの高地と異なって酸素が濃いことも、楽々登山・下山ができた理由になっているかと思う。
     あと、山頂付近では、細いガラス繊維の束のような溶岩を至るところで目撃したが、これは、溶岩のしぶきが飛び散って急激に冷やされた時にできたもので「火山の神様の髪の毛」という名前で呼ばれているとか。
     なお、数日後に掲載する予定であるが、エルタ・アレ火山の南火口の溶岩湖は11月下旬頃の小噴火で大きく変貌してしまった。あふれ出た溶岩でチムニーのような小山が形成され、私たちが訪れた時期にはそのチムニーの一角が再び崩壊し、ごく稀に(おそらく一晩で数回程度)、そこから溶岩が飛び散るような状態であった。そのため、火映現象は顕著であったものの、真っ赤な溶岩は、北火口中心部のほうでかろうじて確認できる程度になっていた。今後も刻々と姿を変えていくはずである。