じぶん更新日記

1997年5月6日開設
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 岡大イルミネーションと月齢12.7の月【12月18日撮影】。

12月19日(日)

【思ったこと】
_a1219(日)日本質的心理学会第7回大会(20)現場の心理学はどこまで普遍性をもちうるのか(10)過去を語ることを目撃証言

 浜田先生の基調講演の後半は、目撃証言、冤罪事件に関する話題であった。その導入のところでは、過去を語るということについて、いくつかの見方が紹介された。

 まず、大森荘蔵氏の、過去は存在しない、想起のみであるという考え方に言及された。私自身もそのような言葉をどこかで聞いたことがあったが、出典は忘れてしまった。念のためウィキペディアで検索したところ、こちらに、
大森荘蔵は、人が過去を思い出すとき「過去の写し」を再現しているのだと考えがちなことに注目する。大森はそのような「写しとしての過去」は錯覚であるという。

そのような過去のモデルでは、まず写される対象としての正しい過去が存在し、それを写した劣化コピーとしての過去が記憶の中に存在するということになる。しかし大森の考えによると、過去は「想起という様式」で振り返られる中にのみ存在する。思い出されるのは写しとしての過去ではなく、過去そのものである。

過去の記憶が正しかったかどうか考えるとき、想起という様式から離れて記憶の正誤を判定する過去は存在しない。想起同士の比較ができるのみである。...【以下略】
という説明があった。

 次に、言語行為には2種類があるという話。すなわち、
  • (いまの)世界を動かす:「寒いねえ」と言うと「窓を閉めましょうか」という返事があり、窓が閉まるという形で世界が動かされる。
  • 過去を語る
 この2つの区別は、スキナーが命名した「マンド」と「タクト」に酷似しているようにも思えた。但し、「寒いねえ」というのは形式上は「タクト」に過ぎない。聞き手のほうが、その「タクト」の中に「窓を閉めてください」という「マンド」が塗り込められていることを推量して、マンドとして機能するのである。高コンテクストの会話と言ってもよいだろう。

 いっぽう、「タクト」は上掲の「過去を語る」以外にも、「聞き手が行ったことのない遠方の出来事を語る」、「現状についての詳細な情報を提供する」という場合を含めることができる。必ずしも、過去だけを特別視するのではなく、実況中継、街角インタビューなどもみな同様ではないかと私は思う。

 ま、それはそれとして、過去を語ることに関しては3つの型があるというのが浜田先生のご趣旨であった。
  • T(I)型:体験者同士が相互に体験を語り合う
  • U(II)型:体験者に対して体験していない人が訊く
  • V(III)型:体験者でない者どうしが語る
取り調べ段階での供述はII型であり、また、テレビのワイドショーで興味本位に事件を取り上げたり、裁判員裁判における審理はIII型の一種ということになる。

 話題提供では具体的な事例の紹介、さらには、被告がもしウソをついているのならそのような発言はしないはずだというところからの無罪主張などについてのお話があったが、ここでは省略させていただく。

 最近、いくつかの冤罪事件(検察が上告しているものを含む)を耳にすることが多く、供述の信憑性や、それを審理する側の判断の妥当性・信頼性の問題が注目されるようになっているところでもあり、この種のご研究は大いに役立つことであろう。

 但し、冤罪事件というのは、被告が無罪になっただけですべて良しというわけにはならない。冤罪といっても、中世の魔女裁判ではなく、おおもとには被害にあった人が別におられるわけであるから、何が何でも真犯人を捜し出して厳しく罰する必要がある。そこまで達成できなければ本当の正義は保てないであろう。その場合、被告として起訴された人が冤罪であるのか、それともホンモノの加害者であってウソをついているのかということは、最初に被告と面会した時には分からないはずである。「冤罪事件に関わった」というように過去形で語ることはできても、これから「冤罪事件に取り組む」というように現在形で語ることはできない。なぜなら、後者は、被告は無罪であると最初から決めつけることになるからである。弁護側に立つというのはおそらくそういうことなのだろうが、学問として冤罪に取り組む場合には、被告が有罪であると最初から決めつけることは論外として、被告が無罪であると決めつけることもまた、事実を歪めているのではないかという気もする。確かに、「推定無罪」という考え方はあるけれども、それは人権を守る立場からの配慮であって、純粋に学問的に扱う場合には、「被告はクロ、シロ、どちらとも判断できない。」という立場から出発することが必要ではないだろうか。


 次回に続く。