じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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§§ 夕日に輝くクスノキ。冬至はもう少し先になるが、日の入り時刻のほうはすでに少しずつ遅くなっている。こちらのこよみに記されている通り、岡山の場合、日の入りの一番早い時期は12月2日から8日頃の16時53分、これに対して12月17日の日の入り時刻は16時55分となっており、わずか2分ではあるが夕方が明るくなっている。微妙な時間差ではあるが、授業が終わった後の、外の明るさの違いを感じるようになってきた。

12月17日(金)

【思ったこと】
_a1217(金)日本質的心理学会第7回大会(18)現場の心理学はどこまで普遍性をもちうるのか(8)「広義のことば」、「操作的定義」、「少数事例」

 昨日引用した日本質的心理学会理事長・やまだようこ氏の御主張についてはまた別の機会に取り上げさせていただきたいと思っているが、これまでに理解した範囲での「質的心理学」というのは、どうも「ことばでっかち」という気がしてならない。やまだ氏は「広義のことば」というようにわざわざ「広義の」を強調しておられたが、映像や音楽、そのほか芸術、身振り手振りなどを含めたとしても、私にはまだまだ、もろもろの現象の一部しかとらえきれないのではないかという気がしてならない。「ことば」が使えない動物でも、ある種の行動習慣を学んだり、群れの中で伝播するということはあるわけで、結局、「広義のことば」というのは、コミュニケーション行動全般の一部に過ぎないと考えるべきではないかと思う。しかしその場合、ことばを介した調査研究を行うことはできない。けっきょくは、環境との関わり方や、個体間相互の関わりについての行動観察、行動分析のほうが幅広く現象を捉えきれるのではないかと思っている。また、ことばによる報告や回想、想定等に頼るだけでなく、まさに「現場」を重視し、現場における環境刺激のありようや文脈を客観的に捉える必要があると思う。

 それから、心理学ではしばしば「操作的定義」が議論されることがあるが、「操作的」というのは必ずしも客観科学という閉じた?世界の中の業界用語というわけではない。オムレツの作り方というレシピも、イワナの釣り方も、観光案内一般もすべて、「こういう場面で、こういう時に、こういうことを測り、それに基づいてこういうように行動すればよい」というように操作的に定義しているわけだ。操作的な定義を抜きにして「心をこめてオムレツを作りましょう」とか、気合いを入れてイワナを釣りましょうと叫んだところで、成果は期待できない。そういう基本を押さえずに、いきなり「ことば」のやりとりだけで何かを分析しようとしても、解釈が何通りにも出てしまって収拾がつかなくなるだけではないかという気もする。

 もう一点、量的心理学が「統計的な数値、たとえば数量の多さや平均値を代表として一般化してものを考える」のに対して、質的心理学は「少数であっても文脈のなかに埋め込まれた具体的な事例や多様性をもつ質的記述から真実を追求していこうとするアプローチである」というように主張されることがあるが、少数事例を扱うこと自体はむしろ行動分析学の十八番であって、必ずしも質的心理学の特徴というわけではない。そして、個体の変化を捉えようとする限りにおいては、まずは同一性の判定が必要であり、その上で、何がどう増えたのか、どういう異質のモノ・コトがいつ頃からどういうパターンで出現したのかということはどうしても測定する必要が出てくる。同一個体内であれ個体間であれ、とにかく何かを比較しようとする限りにおいては、同一性の基準と、量的な変化を捉えることはどうしても必要であろう。


 次回に続く。