じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 農学部農場の稲刈り終わる。金曜日の午前中、最後の刈り取りをしていた(写真上)が、午後には完了。猛暑の影響でお米の質の低下が心配されているが、ここは大丈夫だろうか。

10月29日(金)

【思ったこと】
_a1029(金)日本心理学会第74回大会(36)ことばと社会:心理学的アプローチの可能性と問題点(4)日本語学習者の誤用と言語使用の文化的背景(1)

 2番目は、日本語教育の専門家による話題提供であった。なお、「日本語学習者の誤用と言語使用の文化的背景」というのは私が勝手につけた副題であり、もともとの話題提供にタイトルがあったかどうかは失念してしまった。

 話題提供ではまず、日本語を学習している外国人の日本語誤用には
  • 文法的な間違い:「机の上にペンが3本います」
  • コミュニケーション上の問題:「先生の授業、とても上手でした」、「手伝ってあげましょうか」、「すみません、借りていた傘が壊れました」
という2つのタイプの誤用があることが指摘された。もっとも、後者の「コミュニケーション上の問題」として例に挙げられた「誤用」は、日本人一般でもしばしばありうるものであり、9月まで放送されていたNHK「みんなでニホンGO!」の中でも、興味深い例がたくさん取り上げられており、はたして日本語学習者の誤用なのか、日本語自体の「乱れ」あるいは「揺らぎ」の問題なのかは少々疑問に思うところがあった。

 さらに、願望疑問文(相手の願望を直接尋ねる表現)に関して、
  1. 先生、チョコレートを食べたいですか。
  2. 先生、チョコレートを召し上がりたいですか。
  3. 先生、チョコレートはいかがですか。
という3例のうちのどれが適切な表現と思われているかという話題が取り上げられた。

 ここから、なぜ不適切な表現となるのか、学習者はなぜそのような表現を使用するのか、どのような表現なら適切か、という課題が生じる。話題提供では、それぞれの課題について、いくつかの説が紹介された。

 私個人は、上記3例に関してはやはり「いかがですか」という3.の表現が妥当であり、「食べたいですか」、「召し上がりたいですか」には少々抵抗を感じる。

 もっとも、「食べたい?」という表現は、家族やごく親しい間柄では不自然には感じない。また、「召し上がりたいですか?」は形式上は敬語を使っているが、やはり不自然に感じる。ということから推測してみるに、ある程度の距離を置いた間柄で、目上の人に対する表現においては、願望を尋ねること自体が不適切であり、「いかがですか」というように別の表現に置き換える必要があるということが素朴に理解できる。

 話題提供では、このあたりのカラクリについて、普通表現では、聞き手の領域の中に話し手の領域という部分集合が含まれているのに対して、丁寧体表現では、聞き手と話し手の領域が別々になっていて共有部分がないというモデル(鈴木、1997)が紹介された。そして、聞き手の領域には、行動・家族・所有物・情報などに関する領域と、その内部の部分集合としての私的領域がある。私的領域は、欲求・願望・意志、感情・感覚など個人のアイデンティティに深く関わる内容から構成されているという。

 私が理解した範囲で言えば、「先生、チョコレートを食べたいですか。」、「先生、チョコレートを召し上がりたいですか。」という表現はいずれも、先生個人のアイデンティティに関わる私的領域に関する質問である。いくら丁寧な表現を使おうとも、そういう領域は、生徒さんは侵害してはいけないのである。であるから、「いかがですか」が妥当ということになるのだ。そう言われてみて、なるほどという気がした。

 なお、願望疑問文においても、話し手と直接関わりの無い願望を尋ねる場合は、必ずしも不自然とは言えないように思う。たとえば、旅行の話をしていて、「先生、今度はどこに旅行したいですか?」というのは不自然ではない。一緒にレストランに入って、「先生、この料理、召し上がりたいですか」も不自然ではないだろう。おそらく、上記のモデルはおそらく、話し手自身がサービスを提供する立場にある時にあてはまるものではないかと思われる。話し手がサービスを申し出る場合は、聞き手の私的領域を侵害せず、「いかがですか」という形で話し手自身の行為を評価させることが望ましいものと思われる。


次回に続く。