じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



10月のインデックスへ戻る
最新版へ戻る
§§
2010年版・岡山大学構内の紅葉(3)南北通りのイチョウ。

 岡大構内のイチョウ並木には、南北方向と東西方向に並ぶものがあるが、南北方向のほうが日当たりが悪いせいか、先に黄葉が始まる。夕刻のほんの一瞬、本部棟と農学部棟の間から差し込む夕日が南北通りのイチョウの上部を照らす。

10月28日(木)

【思ったこと】
_a1028(木)日本心理学会第74回大会(35)ことばと社会:心理学的アプローチの可能性と問題点(3)コミュニケーション様式の文化差(2)

 話題提供の後半のほうでは、アメリカの高齢者は、自分がリクエストしたサポートをちゃんそやってもらうことが効能感を高める要因になるが、日本の高齢者の場合は、自分からリクエストしないのにサービスをしてもらったという時のほうが効能感が高いというような話があった。これもまた、「低コンテクストのコミュニケーション様式では、言語的なサポートを要請し、明示的なコミュニケーションを好む。いっぽう、高コンテクストのコミュニケーション様式では非言語的なサポートを要請し、暗黙のコミュニケーションを好む。」という違いの反映であろう。ただし、聞き逃した部分があるので、ご趣旨を正確に理解したかどうかは自信がない。

 ま、昨日も述べたように、少なくとも私自身は、高コンテクスト社会などというのは、面倒で陰湿で窮屈でたまらない。仮に私が高齢者施設の利用者になったときは、こちらが望まないような余計なサービスはしてもらわないほうがいい。集団参加型のイベントなども時間のムダにしか感じないだろう。その代わりといってはわがまますぎるかもしれないが、とにかく、こちらがリクエストしたことだけはちゃんとやってもらいたいという願望がある。別段、王様のように周囲に次々と命令を下すというわけではなくて、とにかく静かな空間と、パソコンが使える環境と、自然に接するための散策の機会が適度に与えられれば、それ以上のことはあまり望まないのだけれど...。

 後半ではこのほか、言語習得と言語使用へのインプリケーションという話題があった。
  1. 幼児の言語学習:アメリカでは名詞から、香港や日本では動詞から(Tardif,et al., 1999←要確認)。
  2. 他者を記述する際、日本では動詞表現が、イタリアでは形容詞表現が用いられる(Maass, Karasawa, et al., 2006←要確認)
上記の2点はなかなか興味深い話題であると思ったが、原典を確認していないので、確かなことは分からない。なお、動詞表現ということに関しては、2年前の日本園芸療法学会第1回大会の中村桂子氏の基調講演で「動詞で考える生活世界」という話を聞いたことを思い出した。(2008年12月20日の日記およびその翌日以降に記録あり。) このほか、「日本語はコト、英語はモノ」などの話題(こちらの論文参照)があることは十分に承知しているが、現実のコミュニケーション様式にどの程度反映しているのかは、十分な根拠に基づく議論が必要であろう。ヘタをすると、こじつけ、過度の一般化、国別・民族別のステレオタイプな見方につながる恐れがある。


次回に続く。