じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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10月1日の17時55分頃に見られた、竜巻に似た形の雲。飛行機雲が変化したようにも見えるが、どうしてこのような形になるのかは謎である。

10月3日(日)

【思ったこと】
_a1003(日)日本心理学会第74回大会(12)素朴弁証法と心理学的成果(4)矛盾する自己概念をどこまで許容するか

 儒教、道家、禅宗の基本概念の紹介に続いて、本題の心理学的研究について、5つの心理学的成果について、テーマ順に講演が行われた。

 その1番目は自己概念の文化的差違に関する話題であった。彭氏は、Markus & Kitayama(1991)らが提唱した、独立的自己、関係自己といった分類では東洋人の自己観を説明することはできないと論じておられた。その一例として、個人の功績に言及する場合、対外的には所属する組織の功績であるように表明する一方、心の中では自分のこととして評価する傾向があるといったエピソードが語られた。引き続いて、私は誰?(「我是誰?」)に関して、95名の中国人学生(北京大学)と97名の米国人学生(カリフォルニア大学バークレイ校)を対象として実施された記述式調査の結果が紹介された。細かい点は聞き取れなかったが、私が理解した限りでは、この調査研究は、回答内容をコーディングしてスコア化するというような形で分析されたもののようであった。それによると、米国人学生に比べて中国人学生のほうが、自己の変化や矛盾性(「若いが年をとっている」、「私は実際的だが、夢を見る人である」、...)といった評価をする比率が高かったという。より詳細には、矛盾性(Contradiction、1つの記述の中味における矛盾、記述内容間、非自己)、変化(Dynamic statement、質的修正)、整体性(Holism)などで有意な差があった。

 2番目の研究は、自我概念の変通性(self-concept fluidity)に関する調査であり、仮説としては、東洋人のほうが、自分自身についての矛盾する評価を行う傾向があり、かつそのような「矛盾的自我信念」を許容する傾向があるというような内容であると理解した。但し、1番目の研究同様、この調査も、大学生(57名の北京大学生と67名のカリフォルニア大学バークレイ校学生)を対象としたものであり、果たして、2つの大学の学生だけで、東洋人と欧米人の自我概念が比較的できるだろうかという素朴な疑問は残った。統計的解析の方法については聞き逃したが、とにかく、自我概念不一致性の指標を比較すると、「特質」に関しても、また「行為」に関しても、中国人のほうが米国人よりも有意に高い値を示したということであった。

 もっともこの種の調査では、自分をよく見せかけようという作為が働く可能性がある。自我の一致性がポジティブに評価される社会では、そのように回答しようという方向でバイアスがかかるだろう。米国人の回答では、自己内部の矛盾を隠そうという意識が働いたのかもしれない。いっぽう中国人では、自我の一致性の表明は必ずしもポジティブには評価されていないので、比較的素直に回答していた可能性がある。(←以上はあくまで長谷川が理解した範囲での表現であり、講演で使われていた言葉とは異なる。)

 このほか、75名の中国人学生、58名の日本人学生、67名の米国人学生を対象とした調査が行われた。この調査では、中国人は、北京大学ではなくて清華大学生、また日本人学生というのは東京大学生であった。米国人はカリフォルニア大学バークレイ校のまま。(ここでもまた、東大生が日本人学生の典型と言えるかどうかという素朴な疑問が生じたが、ここではそれ以上はこだわらないことにする。) この調査では、質問紙による回答と、パソコンで(匿名で?)回答する場合の比較がなされたが、基本的には、日本人と中国人は、いずれの回答方式でも不一致分散が高く、米国人では低いという結果が得られていた。

 このほか、「外向性」、「内向性」、「創造性」、「常軌性」について、矛盾自我をどの程度肯定するかという指標が、各国人間で比較された。ここでは、米国人と日本人の比較で興味深かったのは、内向性や常軌性に関しては米国人のほうが高く、外向性や創造性に関しては日本人のほうが高いという逆転現象が起こっていたことである(←棒グラフからの読み取りによる)。

 以上、2番目の研究までのところでは、他にもいくつかの研究が紹介されていたが、スライドが中国語のみの表記ということもあって、詳細についてよく理解できない部分もあった。但し、いずれの研究も、2004年〜2006年頃に、英語論文として公刊されており、そちらを閲覧すれば、理解を深めることができるものと思う。

 次回に続く。