じぶん更新日記

1997年5月6日開設
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 月とアンタレスの接近。

 早朝の散歩時に偶然見つけた、月とアンタレスの接近(5時55分頃撮影)。けっこう接近していたが、『天文年鑑』やアストロアーツなどでは話題として取り上げられていなかった。私の写真はデジカメのため月の周辺がぼやけているが、ネットで検索したところ、こちらに鮮明な写真が投稿されていた。



2月8日(月)



【小さな話題】

錯視動画の傑作

 2月8日のNHK「おはよう日本」で、現在失業中というbrusspupさんが制作した錯視動画を何本か紹介していた。

 ネットで検索したところ、番組で特に強烈な印象のあった動画が以下の通り見つかった。 但し、3番目のボトルは、輪郭が多少見えていた。

 錯視や錯覚については昔からいろいろは図版や模型が公開されているが、動画で、種明かし付きで紹介されると、なるほどと思う。画質が適度に荒いことも、錯覚を起こしやすくしているようだ。

【思ったこと】
_a0208(月)[一般]「残寒」と「余寒」の違い

 2月8日の岡山県南部は、最低気温が3.0℃、最高気温が11.5℃となった。気象庁のデータに記録されているように、今年の岡山は2月に入ってから最低気温が氷点下となる日が2月4日〜7日まで4日間連続したが、これでやっと春らしくなってきた。週間予報によれば、この先一週間の最低気温はいちばん低い日で2℃、高い日はなんと9℃と予想されており、どうやらこれで真冬並みの寒波の到来は終了した模様である。時々見ている大山・中の原スキー場のゲレンデも雪解けが目立つようになってきた。

 ところで、先日、「残暑」が立秋の後まで残る暑さのことを言うのに対して、立春過ぎの寒さは、「残寒」より「余寒」と呼ぶことが一般的であるというような話を聞いた。念のためネットで調べてみたが、「残寒」、「余寒」という言葉は両方あり、どちらが正解というわけでもないことが確認できた。もっとも、「残暑見舞い」に比べると「残寒見舞い」とか「余寒見舞い」というのはあまり聞かない。これはなぜだろうか?




 その前にまず「残寒」と「余寒」にどのような違いがあるのかを調べてみたが、ネットで検索した限りでは明快な解説は見当たらなかった。

 ではそもそも、日本語の「残る」と「余る」にどのような違いがあるのだろうか。これに関しては、NAFL 日本語教師養成通信講座のQ& Aの当該ページに、以下のような、ガッテンできる説明があった。
...「残る」は基本的に、全体を取り除いた際に一部が取り除かれないでいる状態を表していると言えます。これに対し「余る」は全体がある基準点を越えてはみ出しているような状態を表しています。「残り」の部分や「余り」の部分だけに着目すると、違いがわかりにくくなりますが、全体と部分という関係で「残り」や「余り」を見るようにすると違いがわかりやすくなります。すなわち「残っ」たり「余っ」たりした段階で「残り」や「余り」以外の部分(つまり全体)が存在しているかどうかという点が両者の違いになっています。

 例えば「いくらか金が残る」と「いくらか金が余る」では、前者が既に金を支払った後、手元にいくらかの金があるという状態を表していますが、後者では必ずしも金を使わなくとも、手持ちの金額が必要とされる金額を上回ってさえいればそのように言うことが可能です。
 この区別を忠実に適用して自己流に解釈するならば、まず「残暑」というのは、朝晩には涼しさを感じられるようになったが、引き続き、日中の暑さが堪えるような場合にピッタリ。もっとも、立秋をすぎても熱帯夜や猛暑日が続くことはあるので、「暑さが余る」という意味では「余暑」という言葉が存在してもいいように思う。

 同じく「残寒」と「余寒」の区別について、自己流の解釈を述べると、
  • 残寒:すでに寒さは消えつつあり、日中に暖かさを感じる日がある。その中で、まだまだ冬のような寒さが感じられる時に「残寒」と呼ぶ。
  • 余寒:立春を過ぎても、真冬日が継続しているような状態。
ということになる。であるならば、北日本では「余寒」、私の住む岡山県南部などは「残寒」という言葉を使ったほうが、原義に近いようにも思われる。




 さて、それでは、当初の疑問:

「残暑見舞い」に比べると「残寒見舞い」とか「余寒見舞い」というのはあまり聞かない。これはなぜだろうか?

についてはどう答えればいいだろうか。

 まず考えられるのは、「立秋」というのが8月7日頃のことであり、海に囲まれた日本の気候では太平洋高気圧の勢力がむしろ最盛期を迎えていて、立秋後の相当長期間にわたって酷暑日、真夏日、熱帯夜などが続くことが理由として考えられる(←二十四節気のルーツの中国では、大陸性の気候のため、8月に入るとかなり涼しくなってくる)。暑さが続けば、その分「残暑」という言葉が使われる期間が長くなり日常語として定着するであろう。

 いっぽう真冬の寒さは、日本では大陸からの優勢な高気圧によってもたらされるが、立春を過ぎると、移動性の高気圧に覆われたり春一番がやってきたりして、寒さが継続することは少ない。これによって「残寒」や「余寒」という言葉の使用頻度が減り、日常語としてはあまり定着していない可能性がある。




 「残暑」に比べて「残寒」や「余寒」が使われない理由としては、このほかにも、2つほど挙げることができる。

 1つは、日本の標準的な気候では、暑さは不快であるのに対して、寒さは、防寒着着用や暖房でなんとかしのげるという理由である。いまでこそエアコンで夏も涼しく過ごせるようになったが、かつては、真夏の暑さや寝苦しさは、ウチワでも扇ぎながらひたすら耐えるほかはなかった。いっぽう、寒さのほうは、家の中でコタツに入ったり、布団をいっぱいかけて寝ている限りにおいては、何ら苦にならない。ということで、残暑は「見舞い」に値するのに対して、残寒や余寒はわざわざ見舞うほどの不快事象ではないと考えることもできる。但し、あくまで、日本の標準的な気候の場合の話であるが。

 2つめは、1つめとも連動するものであるが、立春後の2月には、寒さよりも、梅を初めとする木々の花や草花に注意が向けられやすいという理由である。多少寒い日が続いても、早春の変化を季節の挨拶として取り上げたほうが、文面が明るくなる。これに対して、残暑の期間には、これといった草木の変化は見当たらないので、暑さそのものに注意を向けざるを得ないのである。

以上に述べたことは私の自己流の解釈に基づくものであって、半ばこじつけも含まれていることをお断りしておく。