じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 岡山県南部では、毎朝、濃い霧につつまれることが多い。放射冷却によるもののほか、旭川方面から西に移動する霧もあるようだ。写真は12月25日の9時20分すぎに、文法経グラウンドから眺めた霧の半田山。この時間帯になると霧は急速に晴れていく。



12月25日(金)

【ちょっと思ったこと】

年賀状の印刷完了

 25日の夜、年賀状100枚を旧式のプリンターで印刷した。こちらのサイトにも記しているように、私は大の賀状嫌いであり、可能な限り電子年賀状でメッセージを送ることにつとめている。100枚のうち90枚は妻が使用するもの、残り10枚は、ご高齢その他の事情により、ネット経由で賀状を送ることが困難な方に宛てるためのものである。昨年は確か150枚を購入したが、今年はバッサリ、2/3に削減した。

 さて、電子年賀状のほうであるが、昨年はだいたい楽天グリーティング経由でお送りしていた。今年は他に何か面白そうなサービスはないかと検索してみたが、古い情報、もしくは、ネット経由で印刷を注文して葉書で送るというサービスばかりで、上掲の楽天サイト以外には、これといったものは見あたらなかった。

 電子年賀状もSPAMの一種みたいなものであり、実際に「開封」してくれる人は十数人に限られている。日頃購入の無い方にお送りしても自動削除されてしまう可能性も高いかもしれない。今年はほどほどにしておこう。

【思ったこと】
_91225(金)[心理]東北アジアの幸福観(5)世俗主義の幸福論(1)

 今回は、政治思想史の研究者による表記の話題提供について感想をのべさせていただく。ちなみに、今回の演者の方とは、全学の委員会等や学外オープンスクールなどの席上で何度も顔を合わせているのだが、ご専門領域のお話を伺うのは今回が初めて。顔なじみの方でも、専門の話となると偉大な哲学者のように見えてくるところが興味深い。

 演題の「世俗主義」というのは、キリスト教思想に対峙するものであり、その方面の人たちにとってはごく常識的な概念であるらしい。要するに、キリスト教では、「この世」は「つかのま」に過ぎず、真の世界は「あの世」にある。罪深き人間がこの世で幸福を願うのは無理と考えるのがアウグスティヌス主義の伝統であり、政治思想でもどちらかと言えばキリスト教的な禁欲主義が支配的であったようだ。そして「あの世」から「この世」へ関心を転回させること、すなわち、宗教的および形而上学的保護から人間を解放し、関心を振り向けるプロセスが「世俗化(secularization)」ということになる(Harey Cox)。

 もっとも、私のように、キリスト教には全く関心が無く、どの断片をとってもキリスト教とは縁もゆかりもない生活をしているような者にとっては、お前は世俗主義者だなどと言われても当惑してしまうところがある。

 ここで少々脱線するが、大学時代に私が学んだ政治学は、教養教育科目・社会科学の1コマのみである。当時は、教養科目のコマ数がやたらと多くで、あまり関心を持てない授業でも卒業要件を満たすためにいやいや履修登録をする必要があった。その頃、教養部では、楽勝科目は「ホトケの3田」(→苗字に「田」がつく教授3名は楽々単位がもらえる)、難解科目は「3理1哲」(→論理学、倫理学、心理学、哲学は単位を取るのに苦労する)という風評があり、私もそれに習って「ホトケの3田」の1つである「○田先生の政治学」の授業に出席したのだが、世相談義みたいな雑談ばかりで、単位はとれたもののあまり面白くなかった。そのこともあり、政治学というのは、いろんな政治家の悪口を言ったり、政策の提言をするような学問であろうと思い込んでいるところがあった。しかし、今回の政治思想史の話題提供はまるで違っていて、西洋哲学、幸福論、宗教、多元的な価値観・世界観などを包括的に論じる内容であり、大きなインパクトがあった。


 不定期ながら次回に続く。