じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 木の実を食べるカラス。このあたりのカラスは、今年の6月上旬には、ごみステーション荒らしを繰り返していたが、その後、6月11日頃からごみ袋の上にネットがかぶせられたため、だいぶ数が減ってきた。写真は、ヤギ牧場でナンキンハゼの実をついばんでいるところ。


12月22日(火)

【思ったこと】
_91222(火)[心理]東北アジアの幸福観(2)近世日本における道徳と幸福(1)

 12月19日の日記の続き。

 前回も述べたように、この日は午前中から非常勤講師の用務があり、私が会場に入室したのは、

「近世日本における道徳と幸福」

という話題提供が始まった後であった。この話題提供では主として江戸時代の武士と商人の幸福観が、当時の知識人等の「あるべき論」の形で紹介された。

 話題提供者によれば、幸福には2種類のタイプの願望成就がある。すなわち、
  • 主観的感情状態としての快適 感情状態の直接的追求 「楽」
  • 客観的事態としての望ましさ 感情状態の間接的追求 「しあわせ」
 また、人の行為の規定根拠としては、願望成就のほかに道徳があり、道徳の志向は客観的事態の実現であり「快適」とは異なる。道徳と幸福のあいだには葛藤があり、また一致の願望があるというような話であった(一部、抄録からの要約引用)。

 以上に引用した倫理学的な主張は、心理学、あるいは行動分析学的な「生きがい」、「Well-being」とはかなり異なっているという印象を受けた。私の個人的な考えとしては、主観的感情状態は、客観的事態がいかにアレンジされているかに依存する。そのうちのある状態の時、例えば、行動が好子出現の随伴性で継続的に強化されているという客観的状態のもとでは、人は「楽しい」と感じるであろう。また、それが刹那的な好子出現なのか、長期的な目標や規範のもとでルール支配行動を構成し、その中のパーツとして「入れ子構造型」で強化されている時には、より安定・充実した生きがいをもたらすはずである。また、道徳というのは絶対的真理ではなく、それぞれの時代や文化の中で社会的に構成されるものである。所属するコミュニティ、集団、組織、国家の中で許容・肯定されている道徳に一致する形で行動することは、その集団の中で社会的強化される。但し、価値観の多元化が認められた社会においては、その集団・組織等から距離を置いて、その人独自のルールに基づいて行動したとしても、それ自体が咎められることはない。他者に迷惑を及ぼさず、自立した生活が可能であるならば、オンリーワンの生き方を追求することも不可能ではない。

 不定期ながら次回に続く。