じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 文学部中庭のツルウメモドキ。黄色い皮が破れて赤い実(仮種皮)が顔を出すようになった。このあたりでは完全な雑草扱いだが、生け花の材料や盆栽として珍重されることもあるらしい。

 ネットの各種記事によれば、この植物は、最初は地中からまっすぐな枝を伸ばすため、蔓植物には見えないという。孤立した状態では低木となるが、いったん蔓状になって絡みついた場合も、それほど繁茂せず、親の樹には迷惑をかけないという。なお、写真では、トベラに絡みついている。


12月8日(火)

【思ったこと】
_91208(火)[心理]パーソナリティーの時間的変容を捉える試み−対話性と自己からの検討−(7)

 昨日の続き。そろそろ本題に戻る。

 S氏が冒頭に挙げた『人格心理学』(オルポート, 1961)の言葉については、フロアからのコメントの中で、あれはやはり個人を重視しすぎているのではないか、「自分」の「分」という字は、全体の中の部分というような意味であるというような発言があった(←長谷川の記憶のため、不確か)。

 もっともネットで語源由来を調べた限りでは、「自分の分」は「本来備わっている性質を意味する「本分」の「分」で、自らの力量をさす語。」となどと記されており(語源由来辞典などに関連情報あり)、全体の一部「分」という意味ではないようにも見えた。

 同じくS氏が推奨した『ナラティブ心理学セミナー―自己・トラウマ・意味の構築』(クロスリー (著)、 角山・田中(訳) 、2009年)はさっそく注文してみたがまだ入手できていない。S氏は、ナラティブよりも「つぶやき」のほうが大事だというようなことを言っておられたようだが(←長谷川の記憶のため不確か)、これって、Twitter(ツイッター)を意識した発言だったのだろうか。ちなみに私自身は、ツイッターには一度もアクセスしたことがないので、何が魅力なのかはさっぱり分からない。なお、拝読している某・Web日記からの孫引きになるが、ツイッターに関しては、『Twitter社会論 ~新たなリアルタイム・ウェブの潮流』(津田大介著、洋泉社、2009年)という本が最近出版されたとのことである。但し、私は拝読していない。

 S氏は続いて、「心理学の見方に対する批判」として7点を挙げられた。
  1. 閉鎖系として捉える→開放系
  2. 変数の束として捉える→全体性
  3. 人称の混乱→人称性の理解
  4. 比較優位(統制群主義)→独自性
  5. 場所性の軽視→場所性を考える
  6. 時間の捨象→時間を捨象しない
  7. 量の変化を捉える→質の変容を
 このうち2.と4.についてはこの連載ですでに述べている。5.と6.に関しては、場所性や時間を考えることに関しては、少し前の日本心理学会第73回大会の感想の中でも言及した。

 7.の「量の変化→質の変容」に関しては、量の変化を否定するのではなく、量の変化がどのようにして質の変容につながったのかを明らかにすることが肝要ではないかと思う。

 1.については、フロアからも質問が出されていたが、閉鎖系というのはビリヤードの玉の動きのようなもの、開放系は、寄り道、等至性、複線性があるものという意味であり、要するにTEM(こちらに関連記事あり)に結びつけたいというご意向のようであった。人称性については、次回にもう少し詳しく検討してみたい。

 不定期ながら次回に続く。