じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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12月1日夕刻、時計台の脇から丸い月が上っていく様子を眺めることができた。写真下は、時計台のガラスに映る月。

 撮影時の月齢は14.6。満月は12月2日の16時30分となっているので、丸い月と時計台のコラボはもう1日楽しめそうだ。次回の満月は2010年の1月1日04時13分なので、12月2日が2009年最後の満月となる。


12月1日(火)

【ちょっと思ったこと】

2009年の流行語大賞

 恒例の流行語大賞(正式には「ユーキャン新語・流行語大賞」)が発表された。この受賞語について私自身がどれだけ知っていたのかを毎年記録しているところであるが(昨年はこちら)、今回のトップ10を分類すると、
  • 内容を含めて知っている
    政権交代、事業仕分け、新型インフルエンザ、草食男子、脱官僚、派遣切り
  • 言葉としては聞いたことがあるが、どういう意味で使われているのは知らない
    ぼやき
  • 全く知らない、聞いたことは一度もない
    こども店長、ファストファッション、歴女(レキジョ)
ということで、今年の全く知らない率は3割であった。

 余談だが、昨年の大賞受賞語「アラフォー」が40歳前後(35〜44歳)の女性を意味ているということは、今年になってから初めて知った。それまでは単に、エド・はるみが意味もなく叫んでいるだけだと思っていた。ちなみに、60歳前後の人は「アラカン(還暦)」と呼ばれるそうだ。私もアラカンの一人である。

【思ったこと】
_91201(火)[心理]パーソナリティーの時間的変容を捉える試み−対話性と自己からの検討−(3)

 11月29日の日記の続き。

 前回の日記で「Ki氏とF氏の研究が「パーソナリティ研究」であったのかどうかは疑問が残る」と述べたが、こうした疑問には
  1. 特性論的立場からの疑問
  2. 生涯発達心理学、ライフヒストリー研究、あるいは長期的視点を含めた行動分析学的研究などにおいて、何かを記述・分析する場合に、パーソナリティという概念は不要なのではないかという疑問
という2つのタイプがあるのではないかと思う。このうち私自身は2.のタイプであって、1.のタイプについてはS氏が今回表明されたお考えにほぼ賛成である。ここでもう一度、特性論をめぐる議論について概括しておくことにしたい。




 今回のS氏の話題提供では、まず、オルポート(1961)の『人格心理学』の中に書かれた次のような言葉が引用された。
今日われわれを窒息させるほど何千もある因子分析的研究のうち、一人の人間を特徴づける内的で独自の体制的な構成単位を発見する方法で行われているものがほとんどないという事実は、私にとっては驚くほど奇妙に思われる。【S氏のスライド画面からの孫引き】
 S氏はさらに、つい最近出版された、『ナラティブ心理学セミナー』(クロスリー, 2009、金剛出版)における森岡正芳氏の前書きの一部に言及された。
共通特性を抽出し、平均値からの距離を数量化する作業は精密化しても、それらをもとに独自な個性の内的真実に向かう再構築への努力がまったくなされていない。【S氏のスライド画面からの孫引き】
 S氏ご自身がしばしば「変数の束」と表現されていたこともこれに相当するが、要するに、いろいろな尺度を作って、スコアの相対的比較の中で個人を位置づけようとしても、それは個人そのものの本質を明らかにする研究とは言えない。集団の中で、その個人が相対的にどういう位置にあるのか、あるいはどういうタイプに属しているのかということを調べているだけに終わってしまう。

 ここで突然、私自身が勝手に思いついた事例として「ラーメン」を挙げてみたいと思う。行列ができる人気ラーメン屋さんのラーメンが5種類あったとする。それらのラーメンのおいしさは、塩、醤油、みそ、豚骨というように、スープの構成要素という変数の束で記述することもできるし、より心理学的な、「さっぱり、こってり」、「うま味」といったスコアで記述したり分類することもできる。しかしそのような研究からは、 5種類のラーメンそれぞれの「独自な個性の内的真実に向かう再構築」に向かうことはできない。

 先日行われた大相撲で優勝した白鵬は身長192cm、体重153kg、得意技は右四つ、寄り、また人気力士の1人、高見盛は、身長188vm、体重142kg、得意技は右四つ・寄りなどと紹介されているが、こういう「変数の束」をいくら連ねたとしても、白鵬や高見盛の個性に迫ることはできない。

 S氏はさらに比較優位(統制群主義)や人称的混乱についても批判をしておられたが、これらについては次回以降に述べることにしたい。