じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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2009年版・岡山大学構内の紅葉(17)農学部・東西通りのイチョウ並木の黄葉。

 大学構内の黄葉の王者とも言える農学部・東西通りのイチョウ並木がいよいよ見頃となってきた。岡山大学祭が行われる今度の連休には大勢の訪問者があると思われる。なお、11月19日の楽天版に記したように、ヤギはイチョウの葉っぱも食べるようだ。消化不良にならないのだろうか。



11月19日(木)

【思ったこと】
_91119(木)[心理]お金と消費と広告の心理学(7)「麻雀そのものはいかなる富を生み出さない」

 アンテナ経由で拝読している某日記で、いしい・ひさいちのマンガに安下宿共闘会議の諸君が麻雀をするエピソードが紹介されていた。「麻雀そのものはいかなる富も生み出さない。」ということである。

 麻雀でお金を賭けることは違法であるが、ここではあくまでフィクションであるという前提で考えることとする。確かに、麻雀を何時間続けたところで誰かが大金持ちになるわけではない。理由は、麻雀そのものは何も生産せず、かつ、外部からの富の流入が全く無いためである。もちろん、参加者が麻雀を通して交流を深めて新たなビジネスを始めるような場合、あるいは、麻雀で疲れを癒し、競技終了後にいっそうの生産活動に励むというなら話は別であるが、とにかく、麻雀で遊んでいること自体は何の富も生み出さない。

 この日記で何度も取り上げているが、いわゆるマネーゲームとか、先物取引とか、FXなどというものはみな、上記の賭麻雀と同じようなものであって、何ら富をもたらすものではない。そういうことに時間を費やす人が増えれば、その人たちを養うための富が必要となり、世界全体の生産力は衰えていく。

 最近、民主党政権のもとで「税金の無駄遣いを無くす」ということが盛んに言われている。これまでのなれ合い政治の中でずいぶんとムダがあったことは確かであるとは思う。しかし、何かの事業や基金を廃止したとしても、それ自体は何ら富を殖やすものではない。一口に「財源」と言っても、「埋蔵金」のような使われなかったお金と、今後の再生産の中で繰り返し発生し税収として補給されていく財源では性質が異なる。有効に使われていない基金は一見ムダであるようにも思われるが、要するに、集めた税金を一定期間金庫にとどめておくということで、結果的には支出の削減と同じ効果をもたらす。また、「埋蔵金」なるものを一斉に放出してしまうというのは、紙幣を大量に印刷して国債の代わりにばらまくのと同じようになってしまう。

 限られた労働人口、限られた資源、限られた生産設備のもとでは、国の予算がどのように執行されようと、トータルの国力のアップにはつながらない。単に、棲み分け、分配の仕組みを調整しているだけになってしまう。

 ではどうすればよいのか。専門的なことは分からないが、技術立国、知的基盤社会を発展させるための取り組みをおろそかにしてはいけないことは確かでる。また、今の時代、他国から富をかすめ取って自国の繁栄のみを追求するようなやり方は通用しない。地球全体の環境に配慮し、持続可能な循環型社会の構築に貢献するような、中長期的な展望を持った政策を推進することがぜひとも必要である。

 と思ってみたが、民主党政権のやり方を見ても、また自公などの野党勢力の批判を見ても、そういう展望がちっとも示されていないような気がしてならない。