じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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2009年版・岡山大学構内でお花見(80)理学部前の金木犀

 理学部前の芝地にある金木犀2株。先週が一番の見頃、写真下の花は少し色あせている。なお、この近くには銀木犀もあったが、何年か前に枯れてしまった。



10月24日(土)

【ちょっと思ったこと】

人付き合いの少ない老後がいい

 24日の夕刻から夜にかけては、大学周辺の各地の町内会で秋祭りの行事が行われ、子どもたちの御輿やだんじりが町内を練り歩いていた。行列には、小学生のほか、その両親やきょうだい、さらに町内会役員の方々も加わっていて、それぞれ100人以上の規模になっているように見えた。私もかつて、子どもたちと一緒にこの行列に参列したことがあったが、今は別の世界。こう言ってはなんだが、異国の地で、ホテルの屋上から眺めるパレードとそんなに変わらない、別の世界の出来事のようにも思えた。

 このことでふと思ったが、最近私は、ますます、人付き合いを好まない傾向が強くなってきた。学生主催のコンパ、教職員の懇親会、学会年次大会の懇親会などへの参加はすべてお断りしているし、生協食堂でも、知っている人が居てもできるだけ知らん顔をして、人気の少ない窓際のテーブルで外の景色を見ながらマイペースで食事をすることが多い。

 私自身が人付き合いを避ける理由についてはこの日記でも何度か書いたことがあるが、一言で言えば、他者との交流によって得られるポジティブな結果よりも、交流をすることの煩わしさ、とりとめもない話に時間を費やすことのムダ、相手に気を遣うことの面倒さなどなどのほうが大きいということによるかと思う。

 人付き合いよりも、植物や動物との関わりのほうを重視する人々の中には、おそらく私と同じ考えをもつ人がおられるのではないかと思う。植物や動物たちとのつきあいは、煩わしさがないのが一番である。鉢物の水やりや、観賞魚の餌やりは面倒に感じることもあるけれども、みな素直で私の気持ちに応えてくれる。関係性の中に埋没して個性や主体性を失う恐れもない。

 ということで、老後は、できるだけ人付き合いが少なくて済むような生活設計をしたいと思っているところであるが、何だかんだと言っても、老化や病気にともなって体が動かなくなり、介護を受ける必要が出てきた時には、人付き合いを無しで済ますわけにはいかない。先日も、集中治療室に入院していた某親戚を見舞いに行ったことがあったが、ああいう場所で、見知らぬ医療スタッフに囲まれて、鼻や口や静脈に管をつっこまれ、体のすべてを監視されながら最期を終えるのはイヤだなあというのが率直な感想であった(←某親戚は、その後回復して、一般病棟に移ったのでご心配なく)。