じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 昨日の日記で、日の出前に東の空を賑わす金星、土星、水星の写真を掲載した。10月12日の朝にはさらに、天頂付近で火星と月が接近(午前10時に1°09′)し、太陽系の存在を実感する朝となった。なお、惑星に明るさを合わせて撮影しようとすると、月が明るすぎて輪郭がはっきりしなくなる。青枠内は、月に明るさを合わせた場合だが、今度は惑星が暗すぎて写らなくなってしまう。ちなみに、この時の月齢は23、前日夕刻が下弦であった。



10月11日(日)

【思ったこと】
_91011(日)[心理]「○○はなぜ××なのか」を考える(6)

 10月9日の日記の続き。

 何度か指摘したように、「人間はなぜ××なのか」(「なぜ××するのか」や特定集団の行動傾向に関する疑問を含む)という疑問を提出するには、その前提として、

人間は××である

という証拠が必要である。但し、「人間は××である」という固定観念が広く形成されている時には、「いや、じつは××でない」という形で論を展開しても十分に話題性が出てくる。このほか、

すべての人間が××というわけではないが、××である人がいるという事例は挙げられる。××にあてはまる人に限定して、その原因を探ることはできる。

という形で疑問の対象を修正することもできる。こちらの場合は、「××である」という事例が、珍しい事象であったり(例えば「人はなぜ変化朝顔に熱中するのか」など)とか、社会的に問題となる行動である場合(例えば「なぜDVは無くならないのか」など、は、話題性が出てくる。

 しかし、事例や証拠探しをする以前に、スタートポイントのところではっきりさせておかなければならない根本問題が別にある。それは、「人間は××である」というところの「××」がちゃんと定義されているのか、定義されていたとしても、それは概念としての有用性を満たしているのかどうかという問題である。

 10月9日の日記で列挙した問いの中にあった、

人間はなぜブランド物が好きなのか?

を例として考えてみよう。この場合、すべての人がブランド者を好きであるとは限らないので、この問いは、とりあえず、

なぜ、ブランド物を欲しがる人がいるのか?(ブランド物を欲しがるという行動はどうして起こるのか?

というように書き換えることができる。

 しかしそれでもなお、何をもってブランド物とするのかという定義上の問題は残る。ではそれは、例えば、
  • メーカーの名前や商品名が○○%以上の消費者に知られており、消費者への調査により信頼度が○○%以上であるような商品
  • 競合他社との差別化において優位性が確認されている商品(価格を高めに設定しても十分に売れる商品)
というような形で定義すればそれで済むのか。確かに、物を売る場合にはそれでよいかもしれないが、心理学の問題としてとらえた場合、それが最も適切な定義であるかどうかはさらに検討を要する。

 第一に、個々人において「ブランド物」の基準が違う可能性がある。その場合、「ブランド物」は普遍性のある概念というよりも、個々人の最大公約数的な概念といったほうがよさそうだ。

 第二に、ブランド物と言っても、ファッション系商品、食品、スポーツ用品などそれぞれにおいて、ブランド品の基準や、選択に際しての考慮度が異なってくる可能性もある。「ブランド物」を話題として持ってくるのはよいが、もしかすると、本当の研究対象は、「周囲からの評価」、「商品の安全性・信頼性」、...など別の要因であるのかもしれない。であるからして、単に「あなたはブランド物が好きですか」と、言葉で質問すれば済むという性質のものではない。

 さらに留意しなければならないのは、言葉の使われ方の研究と、その言葉で代表されている心理要因の研究を明確に区別することである。「ブランド物とは何か」についていろいろな関連商品やイメージを挙げてもらって統計的に解析したとしても、そこで導き出される結論は、「『ブランド物』という言葉はどういう時に使われるか」に終わってしまう恐れがある。国語辞典の用例集めであるならそれで結構だろうが、心理学の研究としてははなはだ不十分と言わざるを得ない。

 要するに、言葉の基となる同一性の基準や分類のしかたというのは、人間がそれぞれの要請に基づいて勝手にこしらえたものにすぎない。現象自体は客観的であったとしても、それを記述する言葉は社会的に構成されたものであることが殆どである。日常社会で構成されている諸概念を、科学的な分析ができるような形に再構成するということも重要な課題である。但しその場合も、「科学的な構成」は一通りではない。結局は、どう構成したら、予測や制御の有効性を高めることができるのか、といった相対的な評価で取捨選択して再構成、再々構成、...を進めていくほかはないのである。

 不定期ながら、次回に続く。